水晶体偏位
マルファン症候群と眼合併症
ひとめでわかるポイント
Section titled “ひとめでわかるポイント”1. マルファン症候群とは
Section titled “1. マルファン症候群とは”マルファン症候群(Marfan syndrome; MFS)は、フィブリリン-1(FBN1)遺伝子変異による常染色体優性遺伝性の全身性結合組織疾患である。細胞外基質の脆弱性により、心血管系(大動脈瘤・解離)、骨格系(高身長・クモ状指・側弯)、眼科系(水晶体偏位・近視・網膜剝離・緑内障)に多臓器障害を来す。
有病率は3,000〜5,000人に1人とされ、1) 世界的には10万人あたり約20人と推定される。2) 北アイルランドでは10万人あたり1.5人(1958年)、スコットランドでは10万人あたり6.8人、デンマークでは10万人あたり4.6人(1997年)と地域差がある。2)
常染色体優性遺伝であるが、約25%は新生突然変異(de novo)による発症であり、家族歴がない場合でも発症しうる。1) 同一家系内でも重症度に差があること(variable expressivity)が特徴である。
眼科的には約60%の症例に水晶体偏位を生じ、強度近視、網膜剝離、緑内障、白内障のリスクも高い。生命予後を左右する最重要合併症は大動脈解離であり、循環器科との連携が不可欠である。
2. 主な症状と臨床所見
Section titled “2. 主な症状と臨床所見”- 視力低下:強度近視または水晶体偏位による屈折変動・不正乱視に起因する。
- 飛蚊症:網膜格子状変性や網膜剝離の前兆として出現することがある。
- 光視症:網膜牽引・裂孔形成に伴い出現する。
- 急激な視野欠損:網膜剝離発症時に出現する。
- 眼痛・頭痛:水晶体前房内脱臼に伴う眼圧上昇、または緑内障急性発作時に生じる。
近視・網膜疾患
緑内障
頻度:MFS患者の約30〜35%が生涯で緑内障を発症する。1)
病型:開放隅角緑内障・色素性緑内障・水晶体原性緑内障がある。
新生児期の発症例も報告されており、β遮断薬による早期管理が必要となる場合がある。1)
その他の眼合併症
眼科医が把握すべき主要な全身所見を以下に示す。
| 系統 | 主な所見 |
|---|---|
| 骨格系 | 高身長・クモ状指趾(arachnodactyly)・側弯・高口蓋 |
| 心血管系 | 大動脈瘤・大動脈解離(生命予後を左右)・僧帽弁逸脱 |
| 呼吸器系 | 自然気胸 |
| 皮膚 | 皮膚線条 |
性差として、男性は身長・体重・大動脈根拡張がより顕著(92.1%)であり、女性は僧帽弁逸脱(65.0%)・クモ状指(54.2%)・側弯(60.4%)がより顕著との報告がある。1)
上方または上耳側への偏位が多い。これはホモシスチン尿症(下方偏位が多い)やワイル・マルケサニ症候群(下方偏位が多い)との重要な鑑別点である。縮瞳下では発見しにくいため、散瞳下の細隙灯顕微鏡検査が必須である。
3. 原因とリスク要因
Section titled “3. 原因とリスク要因”マルファン症候群の原因遺伝子はFBN1(15番染色体長腕 15q21.1)であり、フィブリリン-1をコードする。フィブリリン-1はマイクロフィブリルの主要構成タンパク質であり、Zinn小帯(毛様体小帯)の構造維持に必須である。
変異フィブリリンは正常フィブリリンの多量体形成を阻害する(優性阻害効果 = dominant negative effect)。さらにFBN1変異はTGF-βシグナル亢進を引き起こし、結合組織リモデリング異常を来す。3)
遺伝形式は常染色体優性であるが、約25%はde novo変異による発症である。1) 表現促進現象(variable expressivity)により、同一家系内でも重症度に差がある。新生児型マルファン症候群(neonatal MFS)は最重症型で、多臓器に急速進行する。
4. 診断と検査方法
Section titled “4. 診断と検査方法”改訂Ghent基準(2010年)
Section titled “改訂Ghent基準(2010年)”マルファン症候群の臨床診断には改訂Ghent基準(2010)が国際的に用いられる。3)
- 確定診断(家族歴なし):大動脈根拡張(Zスコア≥2)と水晶体偏位の共存、またはFBN1変異確認+大動脈根拡張
- 確定診断(家族歴あり):診断閾値はより低く設定される
- Systemic score:クモ状指(手首徴候・親指徴候)、側弯、高口蓋、気胸、硬膜拡張などを点数化し、≥7点で全身関与ありと判定する
FBN1変異が確認されている場合、大動脈根拡張のみでも診断可能である。
- 散瞳下細隙灯顕微鏡検査:水晶体位置・Zinn小帯の状態・虹彩振盪(iridodonesis)の確認。最重要。縮瞳下では水晶体偏位を見逃す可能性があるため、必ず散瞳下で行う。
- 眼底検査:網膜格子状変性・網膜裂孔・網膜剝離の有無を評価する。
- 眼圧測定:緑内障合併の確認。
- 眼軸長測定:軸性近視の評価。眼軸長延長がMFSの特徴的な所見の一つである。8)
- 屈折検査:強度近視・不正乱視の評価と矯正。
水晶体偏位を示す主な鑑別疾患を以下に示す。
| 疾患 | 体型 | 水晶体偏位方向 | 遺伝形式 | その他の特徴 |
|---|---|---|---|---|
| マルファン症候群 | 高身長・クモ状指 | 上方・上耳側 | AD(FBN1) | 大動脈瘤 |
| ホモシスチン尿症 | 高身長 | 下方・下鼻側 | AR | 知的障害・血栓症・尿中ホモシスチン上昇 |
| ワイル・マルケサニ症候群 | 低身長・短指 | 下方 | AD/AR | 球状水晶体・閉塞隅角緑内障 |
| Ehlers-Danlos症候群 | 関節過可動性 | 不定 | AD/AR | 皮膚過伸展・血管脆弱 |
改訂Ghent基準(2010年)に基づき臨床診断する。3) 大動脈根拡張(Zスコア≥2)と水晶体偏位が共存すれば確定診断となる。眼科的には散瞳下の細隙灯顕微鏡検査で水晶体位置とZinn小帯を評価する。FBN1遺伝子検査も確定診断に有用である。
5. 標準的な治療法
Section titled “5. 標準的な治療法”眼科的管理の基本方針
Section titled “眼科的管理の基本方針”小児期から生涯にわたり、定期的な散瞳下眼科検査を実施する。屈折矯正(眼鏡・コンタクトレンズ)による強度近視・不正乱視への対応を行い、小児では弱視予防の観点から早期介入が重要である。92%が眼鏡による屈折矯正で管理される。4)
水晶体偏位の治療
Section titled “水晶体偏位の治療”軽度偏位では保存的管理(屈折矯正)を行う。ただし保存的管理のみでは機能的弱視が永続するリスクがある。4)
高度偏位(視軸にかかる場合)または前房内脱臼による角膜混濁・眼圧上昇が生じた場合は水晶体摘出術の適応となる。若年者では手術リスクが高いため慎重に適応判断する。
主な手術方法:
- 経毛様体扁平部水晶体切除術(pars plana lensectomy)+前部硝子体切除術:標準的術式。1)
- 強膜内固定IOL:若年者では虹彩伸展性が高く、術後瞳孔捕獲を生じやすい点に注意する。
- CTR(capsular tension ring):嚢の安定化に有用。
- フェムトセカンドレーザー支援白内障手術:Zinn小帯脆弱例への応用が報告されている。1)
術後成績として、PPV+lensectomy後にBCVA 20/30〜20/40を達成した報告が複数ある。1)
緑内障の治療
Section titled “緑内障の治療”- 薬物治療:β遮断薬(ベタキソロール・チモロール)、炭酸脱水酵素阻害薬、ブリモニジンなど。新生児期に眼圧上昇を認める症例ではβ遮断薬ベタキソロールによる管理が行われる(例:右30 mmHg・左40 mmHg)。1)
- ピロカルピン(縮瞳薬)の注意点:Zinn小帯弛緩を来すため慎重投与が必要である。1)
- 手術治療:コントロール不良例では線維柱帯切除術などを検討する。
網膜剝離の治療
Section titled “網膜剝離の治療”- 硝子体手術(PPV):シリコーンオイルタンポナーデ、エンドレーザー光凝固を併用する。1)
- 強膜バックリング手術:水晶体健在例で前方裂孔がある場合に選択。
- 手術成功率は86%と報告されている。1)
- 薄い強膜・縮瞳傾向・多発裂孔が手術を困難にする因子である。1)
- 予防的レーザー光凝固:網膜格子状変性に対して適応を検討する。
眼科管理の治療フロー
Section titled “眼科管理の治療フロー”- 散瞳下眼科検査(年1〜2回、小児期から)
- 屈折矯正(眼鏡処方。必要時コンタクトレンズ)
- 水晶体偏位が高度 → 水晶体摘出術±IOL強膜内固定
- 網膜格子状変性 → 予防的レーザー光凝固検討
- 網膜剝離 → PPVまたは強膜バックリング
- 緑内障 → 点眼治療・不良時は手術
- 循環器科への紹介(大動脈根の定期評価)
水晶体偏位が視軸にかかり視力障害が著明な場合、または前房内脱臼により角膜混濁・眼圧上昇を来した場合に手術適応となる。若年者では手術リスク(瞳孔捕獲など)が高いため慎重に判断する。手術は経毛様体扁平部水晶体切除術が標準的で、術後にBCVA 20/30〜20/40が期待できる。1)
6. 病態生理学・詳細な発症機序
Section titled “6. 病態生理学・詳細な発症機序”マルファン症候群の病態は、FBN1変異によるフィブリリン-1タンパク異常を起点とする多段階的な機序により理解される。
フィブリリン-1とマイクロフィブリルの異常
Section titled “フィブリリン-1とマイクロフィブリルの異常”フィブリリン-1はマイクロフィブリルの主要構成タンパク質であり、変異フィブリリンは正常フィブリリンの多量体形成を阻害する(優性阻害効果)。マイクロフィブリルはZinn小帯(毛様体小帯)の主要構成成分であるため、Zinn小帯の脆弱化が生じ、水晶体偏位に至る。
非色素性毛様体上皮(NPCE)細胞がフィブリリン-1の主要産生細胞であり、Zinn小帯への影響に直結する。3)
TGF-βシグナルの亢進
Section titled “TGF-βシグナルの亢進”FBN1変異はTGF-βの隔離能を低下させ、シグナル亢進を引き起こす。これにより結合組織リモデリング異常が生じ、大動脈壁の脆弱化・骨格異常・眼組織異常がもたらされる。3)
Zinn小帯 → 水晶体偏位
経路:FBN1変異 → フィブリリン-1異常 → マイクロフィブリル脆弱 → Zinn小帯断裂 → 水晶体亜脱臼(上方・上耳側が多い)→ 進行で完全脱臼
臨床的意義:部分断裂では亜脱臼にとどまるが、完全断裂により水晶体が硝子体腔または前房内に移動する。
強膜・眼軸 → 近視・網膜剝離
経路:フィブリリン-1は強膜にも分布 → 強膜菲薄化・拡張 → 眼軸長延長 → 軸性近視 → 網膜菲薄化 → 格子状変性 → 裂孔原性網膜剝離
臨床的意義:強度近視の発症と網膜剝離リスクの増大が連動して生じる。
緑内障の発症機序
Section titled “緑内障の発症機序”Zinn小帯の異常・隅角構造の変化・水晶体原性機序など複数の機序が緑内障リスクの上昇に関与する。フィブリリン-1は隅角の線維柱帯にも存在し、その異常が房水排出障害を来すと考えられている。
7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)
Section titled “7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)”長期眼合併症の追跡研究
Section titled “長期眼合併症の追跡研究”Sandvikら(2019)によるマルファン症候群患者の10年間追跡研究では、水晶体偏位や網膜剝離の長期的進行パターンが詳細に報告された。5) 長期追跡の重要性が示されている。
水晶体手術における合併症リスク因子
Section titled “水晶体手術における合併症リスク因子”Fanら(2014)は、lensectomy-vitrectomy後の合併症リスク因子(年齢・IOL挿入の有無など)を報告した。6) IOL挿入の有無が術後経過に影響することが示されている。
新規手術手技の報告
Section titled “新規手術手技の報告”網膜剝離と無水晶体眼の同時管理として、PPV+シリコーンオイルタンポナーデ+retropupillary iris-claw IOL同時留置が報告されている。1) また、Zinn小帯脆弱例へのフェムトセカンドレーザー支援白内障手術の適用が報告され、術後BCVA 20/20〜20/25が達成された事例もある。1)
TGF-βシグナル制御と遺伝子治療への展望
Section titled “TGF-βシグナル制御と遺伝子治療への展望”TGF-βシグナル亢進が病態の中心であることから、ARB(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)のロサルタンによる大動脈拡張抑制効果の臨床試験が進行中である。3) 眼科領域への応用、および遺伝子治療への展開は今後の課題である。
8. 参考文献
Section titled “8. 参考文献”-
Adji AS, Billah A, Fadila F, et al. A systematic review of case series of Marfan syndrome: ocular findings and complications. 2025.
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Groth KA, Hove H, Kyhl K, et al. Prevalence, incidence, and age at diagnosis in Marfan syndrome. Orphanet J Rare Dis. 2015;10:36.
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Milewicz DM, Braverman AC, De Backer J, et al. Marfan syndrome. Nat Rev Dis Primers. 2021;7:24.
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Esfandiari H, Ansari S, Mohammad-Rabei H, Mets M. Management strategies of ocular abnormalities in patients with Marfan syndrome: current perspective. J Ophthalmic Vis Res. 2019;14(1):36-42.
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Sandvik GF, Vanem TT, Rand-Hendriksen S, et al. Ten-year reinvestigation of ocular manifestations in Marfan syndrome. Clin Exp Ophthalmol. 2019;47(2):212-218.
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Fan F, Luo Y, Liu X, et al. Risk factors for postoperative complications in lensectomy-vitrectomy with or without intraocular lens placement in ectopia lentis associated with Marfan syndrome. Br J Ophthalmol. 2014;98(10):1338-1342.
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Akram H, Aragon-Martin JA, Chandra A. Marfan syndrome and the eye clinic: from diagnosis to management. Ther Adv Rare Dis. 2021;2:26330040211055738.
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Gehle P, Goergen B, Pilger D, et al. Biometric and structural ocular manifestations of Marfan syndrome. PLoS One. 2017;12(9):e0183370.