水晶体偏位
偏位方向:上方・外上方(上耳側)への偏位が最多。理論的にはあらゆる方向に偏位しうる。
チン小帯所見:引き伸ばされているが断裂せず残存することが多い。細隙灯検査で虹彩震顫(iridodonesis)・水晶体震顫(phacodonesis)を認める。
球状水晶体:水晶体形状異常を伴う場合がある。
縮瞳時の注意:縮瞳していると偏位が分かりにくく、散瞳後に再確認する。

マルファン症候群(Marfan syndrome)は、FBN1遺伝子の変異によって引き起こされる常染色体優性遺伝性結合組織疾患である。骨形成不全症に次いで2番目に多い遺伝性結合組織疾患であり、世界での発生率は約5,000人に1人と推定される。
男女差はなく、あらゆる人種で発症する。患者の約75%は変異した遺伝子を親から受け継ぐが、約25%は孤発性変異(de novo変異)によるものである。常染色体優性遺伝のため、患者が子に変異を伝える確率は50%となる。
FBN1遺伝子は第15染色体(15q21.1)に位置し、フィブリリン1(fibrillin-1)タンパク質をコードする。フィブリリン1は微細線維(microfibrils)の主要構成成分であり、チン小帯(zonular fibers)・大動脈・皮膚・骨格系など全身の結合組織に分布する。変異により結合組織全体の構造的脆弱性が生じる。
1896年にアントワーヌ・マルファンがパリ医学会で初めて正式報告した疾患であり、指定難病に指定されている。
約25%は孤発性変異によって発症するため、家族歴がなくても発症する可能性がある。発症した場合、その子どもへの遺伝確率は50%となる。定期的な遺伝カウンセリングが推奨される。
マルファン症候群は骨格系・心血管系・眼系に影響する多系統疾患であり、眼科領域での主な自覚症状は以下の通りである。
全身症状として、高身長、クモ状指(蜘蛛指症)、側弯症、漏斗胸、関節過可動性、大動脈拡張・解離が認められる。
眼の異常はマルファン症候群患者の約80%に発生する。最も多い所見は水晶体異位(ectopia lentis)であり、マルファン症候群患者の50〜80%に認められる。
水晶体偏位
偏位方向:上方・外上方(上耳側)への偏位が最多。理論的にはあらゆる方向に偏位しうる。
チン小帯所見:引き伸ばされているが断裂せず残存することが多い。細隙灯検査で虹彩震顫(iridodonesis)・水晶体震顫(phacodonesis)を認める。
球状水晶体:水晶体形状異常を伴う場合がある。
縮瞳時の注意:縮瞳していると偏位が分かりにくく、散瞳後に再確認する。
その他の眼所見
高度近視・乱視:眼軸長延長に伴う軸性近視が主体。ゲント基準でも≧3Dの近視は診断スコアに含まれる。
散瞳不良・小瞳孔:瞳孔散大筋の発育不全による。
扁平角膜:角膜曲率の低下を認める。
強膜菲薄化:結合組織脆弱性による。
網膜剥離:眼軸延長・硝子体液化・末梢網膜変性を基盤とする。水晶体異位がある場合は8〜38%に網膜剥離を合併する1)。
水晶体が瞳孔内または前房内に完全脱臼すると、瞳孔ブロック緑内障(pupillary block glaucoma)を引き起こす。また、白内障はマルファン症候群患者に合併することが多いが、一般人口と比較して発症率が高いわけではなく、発症年齢が10〜20年早い点が特徴的である1)。40歳未満での白内障発症例も報告されている1)。
軽度の亜脱臼では自覚症状が乏しいことが多い。瞳孔を水晶体縁がまたぐ位置まで偏位が進むと複視が生じる。マルファン症候群患者は定期的な眼科検査で水晶体位置を確認することが重要である。
マルファン症候群の主な原因はFBN1遺伝子変異であり、フィブリリン1の機能不全によって結合組織全体が脆弱化する1)。フィブリリン1はチン小帯(水晶体を支持する線維)の主要構成成分であり、その欠損が水晶体異位や眼軸延長をもたらす1)。
また、FBN1変異はTGF-β(トランスフォーミング増殖因子β)シグナルの過活性化を引き起こし、細胞外マトリックスの異常なリモデリングを生じる。このTGF-β亢進が大動脈壁の脆弱化や眼軸の異常延長に関与すると考えられている1)。
さらに、異常な細胞外マトリックスリモデリングは房水動態を乱し、眼圧上昇・緑内障リスクを高める1)。
マルファン症候群の診断は「改訂ゲント基準(Revised Ghent Nosology)」に基づく。主要診断基準として以下を含む。
水晶体異位が存在し、かつマルファン症候群の家族歴陽性、または大動脈径のZスコア≧2があれば確定診断となる。
| 疾患 | 水晶体偏位方向 | 主な鑑別点 |
|---|---|---|
| マルファン症候群 | 上耳側 | FBN1変異・大動脈病変 |
| ホモシスチン尿症 | 下内側 | 知的障害・血栓傾向 |
| ワイル・マルケサニ症候群 | 前方(小球状水晶体) | 短指・低身長 |
FBN1遺伝子変異が確認されなくても、臨床所見が改訂ゲント基準を満たせばマルファン症候群と臨床診断できる。ただし、遺伝子検査は確定診断・家族への遺伝カウンセリング・鑑別診断(B3GAT3関連疾患など)に有用である。
水晶体異位の管理: 軽度の亜脱臼で視力が維持されている場合は、眼鏡またはコンタクトレンズによる屈折矯正で経過観察する。自然瞳孔下で有水晶体部・無水晶体部いずれを使用しているかを確認し、光学条件に適した矯正を行う。
水晶体摘出術の適応は以下の通りである(Nemetらの基準)。
白内障手術: 白内障手術がマルファン症候群に対する主要な外科的介入である1)。チン小帯の脆弱性により、通常の白内障手術と比較して難度が高い1)。フェムト秒レーザー支援白内障手術(femtosecond laser-assisted cataract surgery)は、精度の高い前囊切開・核破砕が可能であり、マルファン症候群患者における有望な治療アプローチとして報告されている1)。チン小帯支持器具(カプセルテンションリング、強膜縫合固定など)を組み合わせた手術も施行されている1)。
緑内障の管理:
網膜剥離の管理: 網膜剥離に対しては、強膜バックリング・硝子体切除術・シリコンオイル充填などを組み合わせた外科的治療が行われる1)。対側眼への予防的レーザー治療が考慮される場合がある。
小児患者の管理: 弱視の予防のため、水晶体亜脱臼による屈折異常・不同視を早期に矯正する。感受性期間内に視力育成を促す治療を優先する。
水晶体偏位が軽度でチン小帯が保たれている場合は眼内レンズ挿入が可能だが、チン小帯が高度に脆弱な場合は水晶体摘出のみとなることもある。強膜縫合固定眼内レンズなどの特殊な眼内レンズ固定法が選択される場合がある。術前に詳細な検査と医師との十分な相談が必要である。
フィブリリン1(fibrillin-1)は、微細線維の主要構成タンパク質であり、弾性線維の骨格を形成する。眼においては、フィブリリン1はチン小帯の構成成分として水晶体を支持する1)。
FBN1変異が生じると、以下の経路で眼・全身の病態が生じる。
Li ら(2022)が報告したB3GAT3関連疾患の症例では、新生児期よりクモ状指・大動脈基部拡張を認めマルファン症候群が疑われたが、全エクソーム解析でFBN1変異が検出されず、B3GAT3変異が同定された2)。マルファン症候群と臨床的に類似する疾患が他にも存在するため、分子診断が確定診断に重要である。
マルファン症候群における変異の位置はFBN1遺伝子内で多岐にわたり、変異の部位と種類が眼症状・全身症状の重症度に関与すると考えられている。新生児マルファン症候群はFBN1遺伝子のエクソン24〜32(新生児領域)の変異と関連し、特に重篤な経過をとり、2歳未満での死亡率が高い2)。
マルファン症候群の根本的病態であるTGF-β過活性化を標的とした薬物療法の研究が進んでいる。動物モデルにおいて、ロサルタン(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)がTGF-βシグナルを抑制し大動脈拡張を軽減することが報告されている。ヒトでの臨床試験も実施されているが、現時点での標準治療はβブロッカーである。
マルファン症候群患者のチン小帯脆弱例に対するフェムト秒レーザー白内障手術の適用が積極的に研究されている1)。カプセルテンションリングとの組み合わせにより、良好な視力転帰が得られた症例が複数報告されている1)。ただし、標準化されたプロトコールの確立は今後の課題である。
FBN1遺伝子の根本的修正を目指した遺伝子治療の基礎研究が行われているが、臨床応用には至っていない。