活動期
甲状腺眼症における下斜視
1. 甲状腺眼症における下斜視とは
Section titled “1. 甲状腺眼症における下斜視とは”甲状腺眼症(Thyroid Eye Disease; TED)は、バセドウ病眼症(Graves’ Orbitopathy)とも呼ばれる自己免疫疾患である。甲状腺機能亢進症との関連が最も多いが、4%は機能低下症、6%は甲状腺機能正常の状態で発症する。
TEDの年間有病率は女性16/10万人、男性2.9/10万人と報告されている3)。甲状腺機能亢進症患者の全員がTEDを発症するわけではなく、発症する患者のうち約15%が症状を伴う眼球運動障害を呈する。TED患者の30〜50%が拘束性筋症を発症する1)。
TEDにおける下斜視の病因は、下直筋の炎症後に生じる線維化・短縮に続発する拘束性斜視である。経過には、炎症を特徴とする活動期と、1〜3年を経て移行する非活動的な線維化期がある。TEDの徴候は甲状腺疾患の診断前6ヶ月以内に20%、診断と同時に20%、診断後6ヶ月以上経過後に40%の患者で出現する。本疾患は通常両側性であるが、しばしば左右不同(asymmetric)である。
重篤な合併症として圧迫性視神経症があり、約5%の患者に発生する3)。
甲状腺機能亢進症の患者全員がTEDを発症するわけではない。発症した場合でも、症状を伴う眼球運動障害を呈するのは約15%である。ただし、甲状腺機能異常がある場合は眼科的な経過観察が推奨される。
2. 主な症状と臨床所見
Section titled “2. 主な症状と臨床所見”- 垂直複視:下直筋の拘束により上転が制限され、両眼性の垂直複視を生じる。下方視や顎上げ(chin-up)の頭位で軽減・消失することがある。
- 眼不快感・流涙:眼球突出や上眼瞼後退による角膜露出に起因する。
- 視力低下・色覚変化:圧迫性視神経症を合併した場合に認められる。
臨床所見(医師が診察で確認する所見)
Section titled “臨床所見(医師が診察で確認する所見)”TEDの臨床像は活動期と線維化期で異なる。
線維化期
外眼筋が侵される頻度は下直筋が最も高く、内直筋、上直筋、外直筋の順に減少する。したがって上転障害が最も多く、次いで外転障害を認める。進行例では外眼筋と眼窩壁結合織や眼窩隔膜との癒着により、さらなる眼球運動障害が加わる。
TEDの重症度分類として、VISA(Vision, Inflammation, Strabismus, Appearance)分類やNOSPECS分類が用いられる3)。
3. 原因とリスク要因
Section titled “3. 原因とリスク要因”TEDは自己免疫疾患であり、TSH受容体が甲状腺と眼窩に共通する抗原として病態に関与すると考えられている。インスリン様成長因子1受容体(IGF-1R)を介したシグナル伝達経路も重要な役割を果たす2)。眼窩内の線維芽細胞がT細胞由来のサイトカインにより活性化され、炎症・線維化が進行する。
年齢による病態の違いも認められる。若年者では脂肪織の増生が眼球突出の主因となるのに対し、中高年者では外眼筋の肥大がより顕著である。
TEDの主なリスク因子を以下に示す。
| リスク因子 | 備考 |
|---|---|
| 喫煙 | T細胞機能変化・低酸素がTED進行に関与 |
| 甲状腺機能異常 | 機能亢進症が最多 |
| 家族歴 | 遺伝的素因 |
| 放射性ヨウ素治療 | 独立リスク因子1) |
| 高抗甲状腺抗体価 | 独立リスク因子1) |
| ビタミンD欠乏 | 独立リスク因子1) |
4. 診断と検査方法
Section titled “4. 診断と検査方法”甲状腺機能の評価として以下を測定する。
- FT4(遊離サイロキシン)・FT3(遊離トリヨードサイロニン):バセドウ病では高値、橋本病では低値
- TSH(甲状腺刺激ホルモン):バセドウ病では低値、橋本病では高値
- TRAb(TSH受容体抗体):バセドウ病で高値3)
- TSI(甲状腺刺激免疫グロブリン)・TPO抗体:自己免疫の評価に有用
- CT:腱が温存された外眼筋の紡錘状肥大を確認する3)。腱の肥厚はTEDでは軽度であり、特発性眼窩炎症との鑑別点となる。
- MRI:早期病変の検出に有用である。T2強調画像の選択的脂肪抑制により炎症所見を評価できる。T2 FSE、T1Gad信号強度比、正規化見かけ拡散係数(n-ADC)を用いた活動性の判定も行われる1)。
- 超音波(Bモード):外眼筋肥大の評価に使用可能3)。
- 眼球突出計:Hertel眼球突出計で突出度を経時的に測定する1)。
- 感覚運動検査:ステレオプシス(立体視)、単眼運動(ductions)・共同運動(versions)、全眼位でのプリズム交互カバーテストにより眼位ずれを定量する。
- 牽引試験(forced duction testing):機械的制限の有無と程度を直接確認する1)。
- 視神経機能評価:視野検査、色覚検査、必要に応じてVEP(視覚誘発電位)を施行する。OCTおよび自動視野計は圧迫性視神経症のスクリーニングに有用である1)。
TED全般の鑑別と、下斜視に特有の鑑別を区別する必要がある。
| 対象 | 鑑別疾患 |
|---|---|
| TED全般 | 頸動脈海綿静脈洞瘻、特発性眼窩炎症、重症筋無力症、眼窩腫瘍、血管炎、サルコイドーシス |
| 下斜視 | 単眼挙上不全、対側眼の上斜筋麻痺、サギングアイ症候群、孤立性上直筋麻痺 |
TED患者の一部に重症筋無力症が合併するため、臨床所見から疑われる場合は評価を行うべきである1)。
5. 標準的な治療法
Section titled “5. 標準的な治療法”甲状腺機能の正常化が治療の前提であり、内科との連携が不可欠である。ただし、甲状腺機能が正常化してもTEDの眼症状は改善しないことが多い。
活動期の薬物療法
Section titled “活動期の薬物療法”- ステロイドパルス療法:メチルプレドニゾロン500〜1000mg/日を3日間点滴静注し1クールとする。1週間おきに2〜3クール施行した後、漸減療法に移行する。
- 局所ステロイド投与:肥大した外眼筋周囲のTenon嚢にステロイドを注射する方法もある。
- 放射線療法:ステロイドが使用できない場合やステロイド治療後の再燃例に対し、1.5〜2.0Gy/日を10日間照射する。
- ボツリヌス毒素注射:発症早期に拮抗筋の拘縮防止に有効な場合がある。
複視の対症療法
Section titled “複視の対症療法”- プリズム:フレネル膜プリズムまたは組み込みプリズムにより、第一眼位での両眼単一視を得る。非共同性(incomitant)の性質があるため、全眼位での複視矯正は困難なことが多い。
TEDの手術は以下の順序で行うことが原則である。
手術の順序
斜視手術の適応
斜視手術の術式
Section titled “斜視手術の術式”標準的な術式は**下直筋後転術(recession)**である。短縮術(resection)は伝統的に避けられる1)。
過矯正(連続性上斜視)が主な合併症であり、以下の対策が行われる。
- 非吸収性縫合糸の使用:吸収性縫合糸の早期吸収による過矯正を防止する。
- 半調節縫合法(semi-adjustable suture):術後の微調整を可能にする1)。
- 意図的低矯正:初回手術でやや低矯正を狙う戦略1)。
TEDが両側性の場合、対側眼の上方視制限も考慮して両側非対称下直筋後転術が選択されることがある。日本では原田-伊藤法や下直筋後転術に鼻側移動術を併用する術式も行われる。
手術の成功は第一眼位および読書位での両眼単一視野の獲得によって評価される。成功率は初回手術で66〜71%、複数回手術を含めると89%に達する1)。
- 連続性上斜視(過矯正):後転した下直筋と球面の接触不良、同側の上直筋関与、対側眼の左右差が原因となる1)。
- 下眼瞼後退:下直筋後転術に伴い生じうる1)。
- 眼球突出の増悪:拘束の解除により眼球突出が増加する場合がある1)。
- 低矯正:追加手術を要することがある。
初回手術の成功率は66〜71%であり、第一眼位以外(特に周辺視)では複視が残存することがある1)。術後に小さなプリズムの使用が必要になる場合もある。疾患の不安定な性質上、将来的に追加手術が必要となる可能性についても理解しておく必要がある。
6. 病態生理学・詳細な発症機序
Section titled “6. 病態生理学・詳細な発症機序”TEDの病態は眼窩内の自己免疫反応に基づく。生検組織では筋疾患様のリンパ球浸潤が認められ、主な標的細胞は眼窩内線維芽細胞である。
TSH受容体とIGF-1R
Section titled “TSH受容体とIGF-1R”TSH受容体は甲状腺と眼窩に共通する自己抗原として提唱されている。甲状腺疾患患者からTSH受容体に対する自己抗体が検出されており、これが眼窩組織でも免疫反応を惹起すると考えられている。
IGF-1R(インスリン様成長因子1受容体)を介したシグナル伝達経路も病態の鍵となる。IGF-1Rの活性化はヒアルロン酸および炎症性因子の分泌を促進する2)。テプロツムマブはIGF-1R複合体に結合し、このシグナル伝達を阻害することで治療効果を発揮する2)。
炎症から線維化への進行
Section titled “炎症から線維化への進行”T細胞由来サイトカインが線維芽細胞を活性化し、以下の連鎖が生じる。
- ヒアルロン酸合成の増加:液体貯留と組織腫脹をもたらす3)
- 線維芽細胞の分化:脂肪細胞や筋線維芽細胞への分化が眼窩脂肪の拡大と線維化を引き起こす3)
- 外眼筋の変化:炎症→浮腫→癒着→間質の線維化→伸展障害という経過をたどる
外眼筋の侵される順序は下直筋が最も多く、内直筋、上直筋、外直筋と続く1)。下直筋の線維化により上転制限が生じ、これが下斜視の直接的な原因となる。眼窩漏斗部で肥大した外眼筋が視神経を圧迫すると、圧迫性視神経症が発症する。
臨床活動性スコア(CAS)
Section titled “臨床活動性スコア(CAS)”CASは7項目版と10項目版がある2)。
7項目版は結膜充血、眼瞼腫脹、眼瞼発赤、結膜浮腫、涙丘腫脹、正面視時の疼痛、眼球運動時の疼痛で構成される。3点以上で活動性TEDと判定され、抗炎症治療が有効な時期とされる。線維化が進行すると治療効果は著しく低下する2)。
10項目版では上記7項目に、眼球突出2mm以上の増加、視力低下、眼球運動8度以上の低下(いずれも過去1〜3ヶ月)が追加される2)。
7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)
Section titled “7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)”テプロツムマブ(IGF-1R阻害薬)
Section titled “テプロツムマブ(IGF-1R阻害薬)”テプロツムマブはIGF-1Rに対するヒトモノクローナル抗体であり、海外ではFDA承認を得ている3)。
Congら(2024)は5論文・計411例を対象としたメタアナリシスで、テプロツムマブ群がプラセボ群に比べ24週時の眼球突出減少、複視改善率、CAS(0または1)達成率のいずれにおいても有意に優れることを報告した。有害事象および重篤な有害事象のリスクには両群間で有意差を認めなかった2)。
テプロツムマブの複視に対する改善効果はリツキシマブやトシリズマブを上回ることが示唆されており、この点はテプロツムマブに固有の利点と考えられている2)。
慢性TEDへの有効性も報告されている。罹病期間2年超・CAS 3以上の31例を対象としたUgradarの後方視的研究では、眼球突出、眼窩軟部組織容積、複視、炎症、斜視のいずれも改善を示した2)。また、12週時に眼球突出が2mm以上改善しなかった症例の63%が、24週時には有意な改善を示し、効果発現時期に個人差があることが示唆されている2)。
外眼筋への直接的効果として、テプロツムマブ投与後に外眼筋断面積の縮小と眼球運動・複視の改善が相関することも報告されている1)。
主な有害事象として高血糖、筋痙攣、脱毛、悪心、疲労、頭痛、皮膚乾燥、聴覚障害、咳が報告されている。聴覚障害の発生率は7〜10%であり、多くは可逆的であるが、機序と可逆性についてはさらなる検討が必要とされている2)。高額な薬価を考慮した費用対効果の検討、および大規模長期RCTによるさらなるエビデンスの蓄積が課題である2)。
その他の生物学的製剤
Section titled “その他の生物学的製剤”トシリズマブ(IL-6阻害薬)が難治性TED症例に対して検討されているが、複視に対する効果はテプロツムマブに劣るとされている3)。
8. 参考文献
Section titled “8. 参考文献”- American Academy of Ophthalmology Pediatric Ophthalmology/Strabismus Panel. Adult Strabismus Preferred Practice Pattern. American Academy of Ophthalmology. 2023.
- Cong X, Pei L, Hu H. Teprotumumab for treating active thyroid eye disease: A meta-analysis. Medicine. 2025;104(26):e42966. doi:10.1097/MD.0000000000042966. PMID:40587732; PMCID:PMC12212777.
- Thyroid Eye Disease: A Comprehensive Review. International Journal of Science and Research. 2025;14(4):318-320.