患者側リスク
水晶体囊破損(破囊)と対処法
1. 後嚢破損とは
Section titled “1. 後嚢破損とは”後嚢破損(Posterior Capsular Rent, PCR)は、白内障手術中に水晶体後嚢(posterior capsule)に生じる破綻である。白内障手術における術中合併症の中で最も頻度の高い合併症のひとつとされる。
後嚢が破損すると前房と後房の隔壁が失われ、硝子体が前房内へ脱出するリスクが生じる。この硝子体脱出(vitreous loss)が発生すると、核落下・牽引性網膜裂孔・眼内炎などの重篤な術後合併症リスクが大幅に上昇する。
近年では白内障手術装置の性能向上により破嚢の発生率はかなり減少した。発生率は術者の習熟度によって大きく異なる。標準的な術者では1〜2%以内、熟練した術者では0.45〜3.6%と報告されている。研修医では0.8〜8.9%、超音波乳化吸引術に転向したばかりの術者では4.8〜11%に達する。硝子体切除後眼など高リスク症例では9%まで上昇する1)。
連続円形前嚢切開(CCC)不成功例では後嚢破損の危険性が4倍に上がるとの報告がある3)。
2. 主な症状と臨床所見
Section titled “2. 主な症状と臨床所見”後嚢破損は患者ではなく、術者が術中に認識する病態である。術者が破嚢のサインを見逃さないことが最大の課題となる。
局所麻酔下の患者は術中の術者の動揺を感じ取る。術後に「手術が失敗した」と感じることがあるため、術前・術後の丁寧な説明が重要である。
術中所見(破嚢のサイン)
Section titled “術中所見(破嚢のサイン)”核処理の前半〜中盤では後嚢を直接視認できないため、以下の間接的サインから破嚢を疑う必要がある。
- 瞳孔領に透明部分が出現する:後嚢が破損すると視野内の一部が透明に見える
- 前房が急に深くなり核が傾く:後嚢破損により圧力バランスが変化する
- 核片が突然大きく傾く・沈む:硝子体方向への落ち込みを示す
- 核片が超音波チップに寄ってこなくなる:吸引力の急激な低下を感じる
- チップに硝子体が絡み吸引が悪くなる:硝子体が前房内に脱出したサイン
- 瞳孔が楕円形に引かれる:硝子体脱出による牽引を示す
- 灌流吸引時に線状の後嚢縁が見える:後嚢の破損縁が視認できる場合
核処理がほぼ終わる段階では後嚢を直接視認できるため、破嚢の確認が容易になる。一方で早い段階での破嚢ほど、その後に必要となる操作が増える。
3. 原因とリスク因子
Section titled “3. 原因とリスク因子”後嚢破損の原因は、超音波チップ・灌流吸引チップ・フック・眼内レンズなどの器具が後嚢に直接接触・損傷することがほとんどである。発生時期別では超音波発振時が48.1%、灌流吸引時が31.8%、眼内レンズ挿入時が9.1%と報告されている3)。
- 核分割時:無理な力が加わりZinn小帯断裂や後嚢の亀裂が生じる
- 超音波乳化吸引術時:超音波チップが後嚢に直接当たり、丸い形の破嚢を生じる
- 灌流吸引時:チップが後嚢を誤吸引する(吸引破損、丸い形の破嚢)
- 眼内レンズ挿入時:ループや光学部が後嚢を押す、粘弾性物質の漏出で後嚢が上昇する、フォルダブルIOLの嚢内深部での展開、プッシュ型インジェクターによる急激な射出
- 前嚢切開時:連続円形前嚢切開で生じた亀裂が後嚢に回る場合がある3)
後嚢破損のリスク因子は、患者・術者・機器に分類される1, 2)。
術者・機器側リスク
経験の浅い術者:研修医手術では発生率が高い1)。
使い慣れない装置・不適切な機器設定:サージ(surge)が発生しやすい。
連続円形前嚢切開不成功:前嚢切開に亀裂が入ると危険性が4倍に上がる3)。
浅前房・深前房:前房の不安定性につながり、操作難度が上昇する2)。
慢性閉塞性肺疾患・肥満・高齢:仰臥位保持が困難で、眼内圧変動が生じやすい2)。
4. 診断と検査方法
Section titled “4. 診断と検査方法”術前の適切な評価が後嚢破損の予防の第一歩となる。
| 評価項目 | 確認内容 |
|---|---|
| 病歴 | 眼外傷歴、手術歴、α1遮断薬などの薬剤使用 |
| 細隙灯検査 | 角膜の透明度、前房深度、前嚢・後嚢の完全性 |
| チン小帯評価 | 水晶体振盪の有無、落屑物質の付着 |
- 後嚢の脆弱性評価:後極白内障(水晶体後嚢下の瞳孔領中央付近の境界明瞭な白色円盤状混濁、直径1.8〜3.0mm)の鑑別が特に重要
- スペキュラーマイクロスコピー:角膜内皮細胞密度の確認(硬い白内障・手術歴・高齢者)
- 散瞳下眼底検査:後節評価
- 連続前嚢切開の残存確認:術中にCCCが全周残存しているかどうかがIOL固定方法の決定に直結する
- 麻酔方法の検討:不安の強い患者には球後麻酔を考慮
- 既存の後嚢裂傷:外傷や過去の手術による術前からの破損
- Zinn小帯断裂:病態生理を共有するが管理法が異なる。水晶体の偏位・震盪が主徴
- 後極白内障の先天的嚢欠損:術前からすでに嚢支持を欠く場合がある
- 術中浅前房症候群:急性脈絡膜滲出との鑑別のため直ちに眼底検査を行う
術中の継続的評価
Section titled “術中の継続的評価”超音波乳化吸引術中は、破嚢の疑いの閾値を低く保ち、常に破嚢のサインに注意する。灌流吸引時に灌流吸引チップが後嚢を誤吸引すると、後嚢に線状の収束する皺(スパイダーサイン)が出現することがある。この場合、ただちにフットペダルの還流(reflux)機能を使用して解除する。
5. 標準的な治療法
Section titled “5. 標準的な治療法”破嚢時の治療は、①残存核の摘出、②前部硝子体切除(+残留皮質切除)、③眼内レンズ固定の3工程からなる。
破嚢時の初期対応(「べからず集」)
Section titled “破嚢時の初期対応(「べからず集」)”破嚢と判断したら、以下を厳守する。
- 超音波操作をただちに中断する
- 超音波チップをすぐに引き抜いてはいけない(前房虚脱→硝子体脱出拡大のリスク)
- 超音波で硝子体を吸引してはいけない(硝子体は超音波では切れない)
- 核片残存時に前部硝子体切除を過度に行ってはいけない
正しい手順:サイドポートから粘弾性物質を注入して前房を完全に充填する→ボトルを下げて粘弾性物質が確実に充填されたことを確認する→そのままチップを引き抜く。
第1工程:残存核の摘出
Section titled “第1工程:残存核の摘出”核の大きさと破嚢の程度により、以下の方法を選択する。前部硝子体切除用カッターは核と硝子体が混在すると硝子体を先に切除し核片が眼底に落下する危険があるため、第2工程の前に核片を必ず摘出することが原則である。
| 方法 | 適応 | 利点 | 欠点 |
|---|---|---|---|
| ビスコエクストラクション法 | 1/2以下の核片、後嚢破損が小さく核が前房内 | 組織障害最小、創口拡大不要、眼圧変動少ない | 大きな核には不可 |
| 娩出法(輪匙・フック) | 大きな硬い核、核が傾いている場合 | 大きな核片も対応可 | 創口を180°近くまで拡大必要、駆逐性出血リスク |
ビスコエクストラクション法は粘弾性物質を核片の前面と後側に注入しながら、創口の強膜側を押し下げて娩出する方法である。「組織障害の最も少ない核娩出手技」として推奨される。破嚢が小さく周辺部にある場合は、粘弾性物質で前房を維持しつつPEAを継続することも選択肢となる4)。
第2工程:前部硝子体切除
Section titled “第2工程:前部硝子体切除”白内障手術装置付属の前部硝子体カッターと灌流針を用いて、両側の角膜サイドポートから対側180度の前部硝子体を十分に切除する。カッターを吸引優先モードにして残留皮質を吸引する。
- 大量皮質が残存する場合はI/Aからスリーブを外してチップのみで灌流なし吸引する方法も有用である
- ワイパリング法:フックで創口・サイドポートの嵌頓硝子体を解除し、フリーになった硝子体をカッターで切除する
- 術後眼内トリアムシノロン注入による硝子体可視化で前部硝子体切除の精度が向上する1)
- 前部硝子体膜(anterior hyaloid membrane)の損傷により前房内に硝子体が脱出する6, 7)
手術終了時には縮瞳させ、硝子体が創口やサイドポートに嵌頓していないことを確認する。瞳孔が正円にならない場合は嵌頓硝子体を切除する。
第3工程:眼内レンズ固定
Section titled “第3工程:眼内レンズ固定”眼内レンズの固定法は残存する嚢の状態によって決定する。
- 連続円形前嚢切開縁が全周に残存している場合:3ピース(3P)アクリルの眼内レンズを囊外固定(毛様体溝固定)する。予定眼内レンズ度数より0.5〜1.0D弱い度数を挿入する。度数別の近視化補正の目安:+5.0〜+9.0Dでは±0D、+9.5〜+17.0Dでは-0.5D、+17.5〜+28.0Dでは-1.0D、+28.5〜+30.0Dでは-1.5D5)
- optic captureが可能な場合:3PアクリルIOLの支持部を嚢外に出し、光学部を前嚢切開縁に捕獲させる方法。偏位・傾斜・虹彩捕獲がほとんど起こらず安定性が高い5, 8)。理想のCCC径は光学部径より1.0〜2.0mm小さく作製することが推奨される5)
- 前嚢切開の亀裂方向:上方(9時〜3時方向)の亀裂では囊外固定の長期予後はほぼ問題ない。下方の亀裂では長期的にIOLが下方偏位しやすい
- 後囊CCC法:灌流吸引時のパンチアウト破囊では前嚢鑷子で後嚢CCCを行い亀裂部を円形につなぎ、IOL嚢内挿入が可能となる場合がある
- 嚢の損傷が大きい場合:IOLの強膜縫着術または強膜内固定(flanged intrascleral fixation)が適応となる1)。手技が煩雑で合併症頻度も高いため熟練した術者が対処する
破嚢時の手術では以下の目標をすべて達成することを目指す。
- 核片を硝子体中に落下させない
- 医原性網膜裂孔を作らない
- エピニュクレウス・皮質を残さない
- 眼内レンズを中心固定させる
- 脱出硝子体を創部に嵌頓させない
- 縮瞳させ瞳孔正円を確認する
- 術後眼内炎リスクが上昇するため、創口縫合を考慮し慎重に経過観察する
6. 病態生理学・詳細な発症機序
Section titled “6. 病態生理学・詳細な発症機序”後嚢の解剖学的脆弱性
Section titled “後嚢の解剖学的脆弱性”後嚢は水晶体上皮細胞によって産生されるIV型コラーゲンとグリコサミノグリカンからなる弾力性のある基底膜である。前部・後部の赤道前帯では厚さ約20ミクロンであるが、中心後極部では2〜4ミクロンときわめて薄い。この構造的特性が後嚢を破損しやすくしている。
後嚢の厚さは加齢とともに(後極部を除いて)減少するため、高齢者では破損リスクが増す。また後極白内障では混濁部周囲の後嚢が構造的に脆弱であり、手術以前にすでに自然発生的な後嚢破損を生じている症例もある。
術中圧力動態と破嚢
Section titled “術中圧力動態と破嚢”後嚢破損が生じると、前房と後房の圧力バランスが急激に変化する。前硝子体膜(anterior hyaloid membrane)が損傷されると、前房内に硝子体が脱出し始める6, 7)。この際、超音波操作を継続すると以下の連鎖が起こる。
チップを急激に引き抜くと前房虚脱が起こり、硝子体のさらなる前房内移動と後嚢破損の拡大を招く。
後極白内障における特殊な機序
Section titled “後極白内障における特殊な機序”後極白内障は混濁部の後嚢の構造的脆弱を特徴とする。超音波チップまたは灌流吸引チップを創口から抜いた瞬間に、硝子体圧により急に前房が浅くなると同時に後嚢破損が生じやすい。このため、チップ引き抜き前には必ず粘弾性物質で前房を完全に置換してから抜去する。ハイドロダイセクションは禁忌であり、ハイドロデリニエーションにより核とエピニュクレウスを分離してクッションとして使用する手技が安全性を高める。
7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)
Section titled “7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)”フェムト秒レーザー補助下白内障手術
Section titled “フェムト秒レーザー補助下白内障手術”フェムト秒レーザー補助下白内障手術は、後嚢破損リスクが高い膨隆白内障(intumescent cataract)において、より安全で高精度な嚢切開が可能とされている。ただし、フェムト秒レーザー補助下嚢切開に関連した嚢ブロック症候群(Capsular Block Syndrome)の報告もあり、注意が必要である1)。
術中硝子体可視化のためのトリアムシノロン注入
Section titled “術中硝子体可視化のためのトリアムシノロン注入”前房内トリアムシノロン注入により硝子体を白色に可視化する技術が、前部硝子体切除の精度向上に貢献するとの報告がある1)。透明な硝子体の視認が難しい状況での補助技術として有用性が評価されている。
強膜内固定術(Sutureless Flanged Intrascleral Fixation)の普及
Section titled “強膜内固定術(Sutureless Flanged Intrascleral Fixation)の普及”縫合を必要としないフランジ付きPVDF製ハプティックを強膜内に固定するIOL二次挿入法の普及により、嚢支持のない症例でのIOL安定固定が可能となっている。合併症として眼圧上昇・IOL傾斜・硝子体出血・囊胞様黄斑浮腫・支持部結膜びらん・眼内炎が報告されており1)、長期予後に関するデータの蓄積が期待される。
8. 参考文献
Section titled “8. 参考文献”- Miller KM, Oetting TA, Tweeten JP, et al. Cataract in the Adult Eye Preferred Practice Pattern. Ophthalmology. 2022;129(1):P1-P126. PMID:34780842. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34780842/
- Cataracts in adults: management. . 2017. PMID:29106797.
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