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白内障・前眼部

灌流液迷入症候群(Irrigation Misdirection Syndrome)

灌流液迷入症候群 irrigation misdirection syndrome(IMS)は、白内障手術中に灌流液(balanced salt solution; BSS)が前房から正規の流出経路を逸脱して後方の硝子体腔へ移動し、急激な前房浅化と眼圧上昇をきたす術中合併症である1,2)

本症は1993年にMackoolにより初めて報告された1)。同義語が複数存在し、文献によって異なる呼称が用いられる。

呼称提唱者・出典特徴
Infusion misdirection syndromeMackool 19931)術中の急性病態を強調
Irrigation misdirection syndrome (IMS)国内文献で広く使用灌流液の経路逸脱を強調
Aqueous misdirection syndrome古典的呼称房水・灌流液問わず後方迷入
Acute fluid misdirection syndrome (FMS)Grzybowski 20182)統一的な病態用語
Acute intraoperative rock-hard eye syndromeLau 20144)眼球の硬化所見を強調
Malignant glaucomavon Graefe 1869慢性型・術後発症型

悪性緑内障の概念はvon Graefeが1869年に初めて記述した9)白内障術中に発生する急性型については、Mackoolが1993年に「infusion misdirection syndrome」として初めて命名し、超音波乳化吸引術中の灌流液の異常移動として定義した1)

その後、Grzybowskiらが2018年にacute and chronic fluid misdirection syndromeとして病態生理に基づく統一概念を提唱した2)。2020年には術中OCT(iOCT)により灌流液のBerger腔への移動が直接観察され、病態機序が確認された5)

  • 発生頻度はLau 2014の報告で413眼中6眼(1.45%)4)
  • Varma 2014の症例集積では18例20眼すべて女性、平均年齢44〜86歳、平均眼軸長21.30±1.40mm、術前ACD不明10)
  • 高齢女性、遠視眼、狭隅角眼に好発する4,10)
  • 術後数週から数年で発症する慢性型もあり、近視シフト(myopic surprise)が唯一の初期所見となることがある11)
Q 灌流液迷入症候群と悪性緑内障は同じ疾患か?
A

両者は連続的な病態として理解されている。灌流液迷入症候群は白内障手術中の急性病態であり、灌流液が直接の起動因子となる。悪性緑内障は術後数週から数年にわたる慢性病態であり、房水自身が後方迷入する。機序的にはいずれも前部硝子体膜を介した毛様体ブロックであり、Grzybowskiらは両者を急性および慢性fluid misdirection syndromeとして統一的に扱う概念を提唱している2)

IMSは術中に突発的に発生する。最も特徴的な所見は急激な前房消失と眼球の硬化である2,4)

前房消失

所見: 後囊が急激に前方上昇し、皮質吸引や核片処理が困難となる。

特徴: 粘弾性物質OVD)を注入しても前房は深まらない。注入したOVDが後房側に押し戻される3)

眼球硬化(rock-hard eye)

所見: 眼球を触知するとレンガのように硬く感じられる。

眼圧: 著明に上昇する。Lauらは術中の急激な眼圧上昇を診断的所見として強調している4)

虹彩前方移動・脱出

所見: 虹彩が前方へ膨隆し、創口からの脱出が反復する。

鑑別: 単純な後房圧上昇(球後出血・開瞼器圧迫)でも類似所見をきたすため、原因の検索が必要となる2)

術野不良

所見: 角膜のひずみ・浮腫、前房虚脱と再灌流の反復により視認性が低下する。

経過: 操作続行は後囊破損・核落下脈絡膜出血のリスクを高める3)

慢性型・術後発症型では以下の所見を呈する10,11)

  • 浅前房(ACD < 2.5mm)
  • 中等度〜高度の眼圧上昇(多くは20〜40mmHg)
  • 近視シフト(myopic surprise):水晶体IOL前方偏位による屈折変化
  • 隅角閉塞(瞳孔ブロックを伴わない)
  • 脈絡膜出血・脈絡膜剥離の所見なし

1症例の報告では、比較的深い前房でも近視シフトを唯一の手がかりとして数年後にIMSが診断された11)

Q 術中にIMSを疑うべき所見は何か?
A

核処理または皮質吸引中に、それまで安定していた前房が急激に浅くなり、OVD注入でも復位しない場合にIMSを強く疑う。同時に眼圧が上昇し眼球が硬く触知され、虹彩が前方移動するのが特徴である。ただし、上脈絡膜出血や急性脈絡膜滲出でも類似所見をきたすため、ただちに眼底検査を行い鑑別する必要がある3)

IMSは特定の眼軸的・解剖学的特徴を有する眼に発生しやすい2,4,10)

リスク因子機序・関連
眼軸(<22mm、特に<21mm)灌流液の収容容積が小さく、軽微な迷入でも圧上昇
遠視(+6D以上)眼軸と相関
Nanophthalmos強膜肥厚+脈絡膜うっ滞+短眼軸の三重リスク8)
浅前房(ACD < 2.5mm)前房余裕が乏しい
閉塞隅角PACG前房構造異常を有する
プラトー虹彩毛様体水晶体位置異常
高齢女性統計的偏在4,10)
  • 落屑症候群(pseudoexfoliation syndrome; PXF)チン小帯脆弱を伴いIMS素地となる。少数例の報告では複数例がPXFを背景としていた12)
  • 術中虹彩緊張低下症候群IFIS:α1遮断薬服用例。虹彩脱出・縮瞳と相まって操作困難をきたす。
  • チン小帯脆弱:外傷・落屑・強度近視硝子体手術既往。
  • 対眼でのIMS既往:再発リスクが高い8)
  • トピラマート服用例:Nanophthalmic eyeでaqueous misdirectionを誘発した報告がある13)
  • 高灌流圧設定
  • 創口からのBSS漏出と前房虚脱の反復
  • 過剰な粘弾性物質残留
  • サイドポートからのhydrodissection(OVDが眼外へ逃げず嚢内圧上昇)
  • 前部硝子体剥離が起こっている例ではIMSが起こりやすい

従来IMSは短眼軸眼の合併症と考えられてきたが、2025年に強度近視(長眼軸眼)でのICL植込み中の発症が初めて報告された14)。長眼軸でも発生しうることが示され、機序的には灌流液の不適切移動が共通因子であることが確認された。

Q どのような患者で術前から灌流液迷入症候群のリスクを評価すべきか?
A

眼軸長22mm未満(特に21mm未満)、術前ACD 2.5mm未満、遠視+6D以上、原発閉塞隅角緑内障、nanophthalmos、対眼での既往のいずれかを有する症例では術前リスク評価を行い、術中対応の準備をしておく。落屑症候群は術中のチン小帯脆弱顕在化と相まって発症リスクを高めるため、別個に評価する2,4,8)

IMSは術中の所見と除外診断によりただちに判断する必要がある2,3)

  1. 第一段階:核吸引・皮質吸引中の急激な前房消失と眼圧上昇を認識する。
  2. 第二段階:灌流を即時停止し、操作を中断する。
  3. 第三段階:創口から粘弾性物質を除去または前房注入を試み、反応性を観察する。OVD前房が深まれば一過性の機械的浅前房であり、IMSの可能性は低い。
  4. 第四段階眼底検査を施行し、上脈絡膜出血・急性脈絡膜滲出・脈絡膜剥離を除外する。
  5. 第五段階:これらが除外できれば術中IMSと診断する。

上脈絡膜出血

所見: 急激な前房消失、強い眼痛(覚醒手術)、眼底のドーム状膨隆、暗赤色反射

緊急度: 最重症。手術中止・即時止血が必要

判別: 眼底検査で確認可能3)

急性脈絡膜滲出

所見: 後囊膨隆、皮質吸引困難、脈絡膜剥離

機序: 脈絡膜血管透過性亢進による上脈絡膜腔貯留

経過: 出血ではなく漿液性。手術中止し脈絡膜剥離消失まで待機する3)

球後出血・球後麻酔合併症

所見: 眼球突出、後房圧上昇、開瞼器圧迫様の所見

判別: 開瞼器を緩める・圧迫除去で改善する点でIMSと異なる

単純な機械的浅前房

所見: 灌流量と吸引量の不均衡、創口漏出

判別: 設定変更や創口仮縫合で改善する。OVD前房が深化する点でIMSと異なる

術後発症のIMS悪性緑内障の診断には以下を要する10,11)

  • 浅前房眼圧上昇の併存
  • 周辺虹彩切除術(LPI)が施行されているにもかかわらず瞳孔ブロックの所見なし
  • 脈絡膜出血・腫瘍・ぶどう膜炎の除外
  • UBMによる毛様体前方回旋・水晶体IOL前方偏位の確認15)
  • 屈折検査での近視シフトの定量

Telloらの報告以来、UBMは偽水晶体悪性緑内障の診断における第一選択画像検査として位置付けられている15)

Q 術中にIMSと上脈絡膜出血を即時鑑別する方法は?
A

両者とも前房消失と眼圧上昇を呈するが、上脈絡膜出血では強い眼痛(局所麻酔下)と暗赤色の眼底反射、ドーム状の脈絡膜膨隆が認められる。間接検眼鏡または手術顕微鏡を最大倍率にして眼底を観察し、脈絡膜の所見の有無で鑑別する。Bモード超音波検査が即座に施行できれば確実な判定が可能である2,3)

IMSと診断したら、以下の段階的対応を行う2,3,4)

  1. 灌流の即時停止
  2. 創口・サイドポートの仮縫合(漏出を最小化)
  3. 創口からのOVD除去(残存していれば)
  4. 高浸透圧薬の点滴:20%マンニトール 1.0〜1.5g/kg を30〜60分で点滴
  5. 炭酸脱水酵素阻害薬アセタゾラミド250〜500mgを経口または点滴
  6. 散瞳・調節麻痺薬の点眼(アトロピン1%)
  7. 1時間程度の待機

保存的対応で多くの症例が解消されるとされる。Korean 2021では3例ともマンニトール点滴・アセタゾラミドにより同日中にIOL挿入が完遂できた12)

保存的対応で前房が回復しない場合、以下を考慮する4)

  • Pars plana経由の硝子体液吸引角膜輪部後3.5mmからpars plana経由で23G針を硝子体腔へ刺入し、3ccシリンジで0.2〜0.5mLの液体を吸引する。これにより硝子体圧が即座に低下し前房が深化する4)

機械的減圧でも改善しない、または再発する場合5,6)

  • 前房経由の前部硝子体切除:25G・27Gトロカール下で前房側から前部硝子体を切除する
  • Pars plana前部硝子体切除:トロカール下でpars planaからアプローチ
  • 前部硝子体膜・チン小帯・周辺虹彩の同時切除(zonulo-hyaloido-vitrectomy; ZHV)

BitrianとCaprioliは、PPV+ZHV+iridectomyの組み合わせを推奨している。前後房間の交通を恒久的に確保する点で根治的である6)

IMSが術中に発生した症例では、術後も以下の管理を要する。

  • 術後1日目・2日目に細隙灯所見・眼圧前房深度・眼底所見を評価
  • アトロピン1%点眼の継続(1〜2週間)
  • 房水産生抑制薬の継続
  • 慢性化(数日〜数週後の再上昇)に対する警戒

Wiedenmannらは、白内障術後の悪性緑内障が慢性化する症例があることを報告し、長期フォローアップの必要性を強調している16)

術後数週〜数年で発症する悪性緑内障に対しては段階的治療が標準である10)

治療段階内容
1. 薬物治療散瞳・調節麻痺薬(アトロピン)、房水産生抑制薬、高浸透圧薬。縮瞳薬は禁忌
2. レーザー治療Nd:YAG iridozonulohyaloidotomy。後囊・前部硝子体膜を貫通し前後房交通を作成
3. AC再形成・IOL pushbackOVD前房を再形成し、IOLを後方へ押し戻す
4. 硝子体切除術PPV+ZHV+iridectomy。最終手段だが根治性が高い6)
5. 毛様体光凝固Diode cyclophotocoagulation。ciliary-hyaloid界面の改変17)

Varmaらの18例20眼の検討では、薬物単独で2眼、レーザーで7眼、AC再形成・IOL pushbackで6眼、硝子体切除を要したのは5眼であった10)。Daveらの解析でも薬物単独療法は不十分な症例が多いと報告されている18)

Q 術中にIMSが発生した場合、手術は中止すべきか継続すべきか?
A

判断は段階的な反応性に応じる。マンニトール点滴・アセタゾラミドによる保存的対応で前房が回復すれば、慎重に手術を継続しIOL挿入まで完遂する。Korean 2021の3例はすべて同日完遂された12)。一方、保存的対応で改善しない場合は手術を中止し、別日に再手術またはPPV+ZHVを併用した複合手術を計画する2)。眼底に脈絡膜剥離・上脈絡膜出血を認めた場合は即時中止する3)

正常な白内障手術では、灌流液は前房から創口・サイドポートを介して眼外へ排出される。IMSでは灌流液の一部が以下の経路で後方へ迷入する2,5)

  1. 侵入経路チン小帯線維間の間隙
  2. 中間貯留水晶体後面とWieger靱帯(hyaloideocapsular ligament)に囲まれたBerger腔
  3. 最終到達:Wieger靱帯付着部の不連続を介して前部硝子体膜を越え、硝子体腔または硝子体ゲル周囲に貯留

Grzybowski 2020の術中OCT(iOCT)研究では、白内障手術終了時にBerger腔への液体・微細物質(水晶体破片、トリアムシノロン)の貯留が複数例で確認され、IMSの病態機序が画像的に裏付けられた5)

硝子体腔への液体貯留により以下の悪循環が成立する2)

  1. 硝子体内圧上昇 → 前部硝子体膜が前方移動
  2. 水晶体IOL虹彩の前方偏位 → 前房消失
  3. 隅角閉塞 → 前房水流出阻害
  4. 灌流液は前房に戻れず、再度チン小帯間隙から後方へ → 悪循環

これがciliary block / cilio-lenticular blockと呼ばれる病態本体である。前部硝子体膜が物理的バリアとなり、後房から前房への通常の房水移動が阻害される2)

GrzybowskiとKanclerzは、短眼軸眼で生じる灌流液移動の効率低下を以下のように説明している2)

  • 通常眼では房水・灌流液の硝子体ゲル内拡散は、毛様体辺縁と中央の水晶体硝子体接着面の間にあるドーナツ状の領域(diffusional zone)で行われる。
  • 眼軸眼ではこの領域が正常眼の約半分しかない。
  • 灌流液が硝子体内へ移動した際の戻り経路が狭く、貯留しやすい。
  • 結果として圧上昇と前房消失が急速に進行する。

硝子体内に液体が侵入すると、硝子体ゲル自体が圧縮される2)

  • 硝子体は半固形ゲル構造であり、液体の浸入で容積が減少する
  • 圧縮された硝子体は液体伝導性が低下し、戻り経路がさらに減少
  • 圧縮と液体貯留の悪循環が進行

このゲル圧縮現象がIMSの急激な経過の本質である。

Thompsonらは、慢性閉塞隅角緑内障・短眼軸・nanophthalmos・プラトー虹彩・対眼でのIMS既往などの高リスク眼に対し、白内障手術と同時に行う予防的前部硝子体切除(prophylactic core anterior vitrectomy; CAV)の有効性を検討した8)。後嚢切開と前房経由の前部硝子体切除を組み合わせる本術式により、症例集積では術後IMSの発生はゼロであった8)

近年、超音波チップのスリーブ灌流孔から灌流動圧を利用するphaco sleeve irrigation assisted hydrodissection(灌流ハイドロ法)が報告された。closed eye下で前房容積を一定に保ち、前房虚脱・眼圧急上昇・IMSのリスクを軽減する。チン小帯脆弱例・浅前房IFIS・小眼球・後極脆弱例など難症例にも適用可能である。

Grzybowski 2020の研究は、iOCTがBerger腔への液体貯留を直接観察できることを示した5)。今後、iOCT統合手術顕微鏡の普及により、IMSの早期検出・術中モニタリングが可能となる可能性がある。

統一概念としての fluid misdirection syndrome

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Grzybowskiらは2018年、acute fluid misdirection syndrome(術中・術直後)と chronic fluid misdirection syndrome(術後数週〜数年)を病態生理に基づく統一概念として提唱した2)。両者は時間軸が異なるのみで、本質的にciliary blockによる房水・灌流液の後方迷入という共通機序を有する。この概念により、IMS悪性緑内障を連続的に理解する枠組みが整理された。

従来IMSは短眼軸眼の合併症とされてきたが、2025年にBMC Ophthalmologyにて長眼軸強度近視)でのICL植込み中の発症例が初めて報告された14)。これは病態が眼軸長そのものではなく、灌流液の不適切移動の発生条件全般によることを示唆する。今後の研究で、長眼軸眼でのリスク因子の同定が必要である。

水晶体眼の慢性aqueous misdirectionに対する各種治療の成績を検討した報告では、PPV+ZHV+iridectomyが最も高い再発抑制効果を示すことが報告されている19)


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