単純な幻視
光の点滅:閃光・フリッカーとして現れる。
幾何学的パターン:格子、縞、モザイク状の模様。
色の知覚異常:全体が緑色に見える(緑色視・chloropsia)など8)。

シャルル・ボネ症候群(Charles Bonnet Syndrome; CBS)は、視力の部分的または完全な喪失を経験した人に生じる複雑な幻視を特徴とする疾患である。認知機能は保たれており、精神疾患を伴わない点が本疾患の根幹をなす。ICD-11では「視覚解放幻覚(Visual release hallucinations)」として定義されている3)。
CBSの中心的な3要素は、幻視(hallucinations)、眼疾患(ocular pathology)、認知機能の保持(intact cognition)である。診断基準(Ffytche 2005)として以下の4条件が挙げられる1):
本疾患は1760年にスイスの科学者Charles Bonnetが祖父の幻視を初めて報告したことに始まる。1930年代に神経学者George de MorsierがこれをCharles Bonnet Syndromeと命名した4)。
有病率は報告により大きな幅がある。視覚障害者全体での推定は0.4%〜39%であり5)、11〜15%から最大40%という報告もある6)。英国では推定10万人以上がCBSを経験している7)。カナダでは、低視力・視力低下患者の5人に1人(約20%)がCBSを経験する可能性が指摘されている3)。
原因疾患別の有病率としては、緑内障患者で2.8%〜20.1%(視覚障害の重症度に比例)1)、AMD(加齢黄斑変性)での発症が最も高頻度とされる1)。
CBSは著しく過少報告されている。患者の21%は誰にも幻視を報告せず、64%は家族にのみ報告し、医療者に報告するのは15%にとどまる(Vukicevic & Fitzmaurice)4)。2009年の研究ではCBS患者の9%のみが医療者を受診したとされる6)。医師のCBS認識率はわずか45%であり3)、2010年のシドニー調査では343人の一般開業医中CBSを知っていたのは2人のみであった4)。
幻視を「精神疾患のサイン」と誤解することへのスティグマが、患者の受診・報告を妨げている。
視覚障害者全体での有病率推定は0.4%〜39%と幅が大きく、正確な数値は確立されていない5)。カナダの推計では低視力患者の5人に1人とも言われる3)。精神疾患と誤解されることへの恐怖から過少報告が多く、実際の有病率は報告値より高い可能性がある。
CBSの幻視は「単純」と「複雑」の2種類に分類される。
単純な幻視
光の点滅:閃光・フリッカーとして現れる。
幾何学的パターン:格子、縞、モザイク状の模様。
色の知覚異常:全体が緑色に見える(緑色視・chloropsia)など8)。
複雑な幻視
人物・顔:見知らぬ人の顔1)、亡くなった家族4)、子供7)。
動物:犬4)、羊、馬3)など。
情景:空を飛ぶ車、ホッケーの練習場面3)、廊下3)など。
幻視の性状に関するその他の特徴を以下に示す。
網膜色素変性症においても、CBSとして人物の顔や動物などの複雑な幻視が生じることが知られている。
CBSに特有の神経学的・眼科的所見はない。医師が確認すべき客観的事項を以下に示す。
繰り返しのまばたきや急速眼球運動で幻視が消失することが報告されている5)。また、明るい照明に切り替えることや、視覚的刺激を増やす(テレビを見るなど)ことも有効とされる。閉眼も選択肢の一つである。
CBSの最も認められたリスク要因は、視力の悪化と高齢である。突然の視力低下に伴って発生することが多く、先天盲や長期の失明者には見られないとされる。
主な原因疾患・病態を以下に示す。
その他のリスク要因として、社会的孤立、皮質萎縮、認知機能障害が挙げられる。心理社会的要因(社会的孤立・孤独感)もCBSと関連する6)。性差についてのコンセンサスはないが、女性に多いとする研究も存在する。
CBSは精神疾患を伴わない。認知機能が保たれた状態で発症し、患者は幻視が現実でないと自覚している(病識の保持)。ただし、精神疾患との鑑別が必要なため、初診時に医師による評価を受けることが重要である。
CBSに対する標準化された診断基準は確立されていない。診断は、視力障害の存在、複雑な幻視の特徴、および他疾患の除外によって行われる臨床診断である。
ICD-11はCBSを「視覚解放幻覚」として定義しており、以下を要件とする3):
眼科検査
神経学的検査・画像検査
認知機能評価
血液・その他の検査
CBS以外の幻視の原因を除外することが診断の要である。
| 疾患・病態 | 鑑別ポイント |
|---|---|
| レビー小体型認知症 | 認知機能低下・パーキンソン症状を伴う。CBSが後に認知症へ移行する例もある |
| 前兆を伴う片頭痛 | 閃輝暗点など定型的な前兆。頭痛を伴うことが多い |
| てんかん発作 | EEGで異常波。幻視は短時間で定型的 |
| 急性精神病性障害 | 病識の欠如。他の幻覚・妄想を伴う |
| 薬物・物質使用障害 | 服薬歴・アルコール離脱歴を確認7) |
CBSに対する根本的な治療法は確立されていない。管理の中心は、共感(empathy)と安心させること(reassurance)、および患者教育である6)。患者は幻視の内容よりも「精神疾患と思われること」への懸念でストレスを感じる傾向があり、病気の説明が最も重要な介入となる。
SHaPED試験では、at-risk患者への教育と症状報告の促進が転帰改善につながることが示されている6)。CBS教育を受けた患者のほうが転帰良好であり、情報不足の患者は予後不良となる3)。
以下の方法は安全で、試みる価値がある。
原因となる眼疾患が修正可能な場合、その治療によって幻視が自然寛解することがある。AMD患者での光線力学療法(PDT)による幻視消失、白内障手術によるCBS消失の報告がある。処方眼鏡の使用再開により1ヶ月後に幻視が消失した症例も報告されている5)。
強力なエビデンスを持つ薬物療法は存在しない。以下は症例報告または小規模シリーズからの報告であり、強い推奨はない。多職種(眼科・精神科・神経科)連携のもと個別に検討する6)。
主な薬剤報告を以下に示す。
| 薬剤分類 | 薬剤名・用量 | 報告された効果 |
|---|---|---|
| 抗精神病薬 | オランザピン5mg/日 | 2週間で幻視完全消失1) |
| 抗精神病薬 | リスペリドン1mg→2mg就寝時 | 頻度・強度の有意な減少(ACBS)2) |
| 抗精神病薬 | ハロペリドール2mg日中+4mg夕方 | せん妄合併例で最も効果的6) |
| 抗精神病薬 | クエチアピン | 一部報告で有効6) |
| 抗てんかん薬 | カルバマゼピン+クロナゼパム | ACBS 6例で成功(抗精神病薬は無効)2) |
| 抗てんかん薬 | トピラマート150mg×2 | 外傷性脳損傷合併例で有効(エスシタロプラムと併用)7) |
| 抗てんかん薬 | バルプロ酸500mg×2 | 部分的改善(せん妄合併例)6) |
| SSRI | エスシタロプラム5mg | 外傷性脳損傷合併例(トピラマートと併用)7) |
| その他 | ミルタザピン、ベンラファキシン、ドネペジル | 限定的報告あり6) |
標準化された薬物療法は確立されておらず、エビデンスは症例報告レベルにとどまる。オランザピン、リスペリドン、ハロペリドールなどの抗精神病薬や、カルバマゼピン・トピラマートなどの抗てんかん薬で改善した症例が報告されている6)。薬物療法を検討する場合は、精神科・神経科との連携のもとで個別に判断する。
CBSの根本的なメカニズムは完全には解明されていない。現在、以下の4つの理論が提唱されており、これらは相互に重複する部分がある。
1. 求心路遮断理論(Deafferentation theory)(最も広く受容されている)
視覚伝達を担う求心性ニューロンの喪失により、視覚皮質に異常な過剰興奮(hyperexcitability)が生じるとする理論である6)。神経伝達物質のシナプス前放出増加、シナプス後受容体数増加、抑制性神経伝達物質放出減少が関与すると考えられる。外側膝状体(LGN)のニューロンが視力喪失後に脱求心路支配を受け、自発的神経興奮を来す8)。V1・V2領域での感覚遮断による脱求心路支配が自発的神経活動を惹起する7)。
2. 知覚解放理論(Perceptual release theory)
知覚経路が高次皮質中枢により通常は抑制されているが、知覚低下時にこの経路の抑制が解除されて幻視が生じるとする理論である6)4)。セロトニン濃度の低下が視覚皮質で関与すると示唆されている。
3. 感覚遮断理論(Sensory deprivation theory)
健常者でも視覚遮断によって視覚皮質の過興奮が生じうる。正常では通常の感覚入力がこの過興奮を抑制するが、視覚障害者では感覚入力が減少するため幻視が生じるとする理論である1)。
4. 解放理論(Release theory)
視覚路の神経欠損が異常信号を生じさせ、この異常信号と正常視覚活動の混在が幻視を引き起こすとする理論である1)。
CBSは視覚における「幻肢」に例えられることがある4)8)。截断術後の幻肢痛と同様に、視覚皮質が感覚入力を失った領域を自律的な活動で「埋めようとする」皮質解放現象として理解される8)。
アセチルコリン・ドーパミン・セロトニンの関与が疑われている6)。これらの神経伝達物質系が抗精神病薬や抗てんかん薬による症状軽減の機序と関連すると考えられる。
聴覚型CBS(ACBS)では、聴覚遮断による聴覚皮質の不適応的神経可塑性変化が自発的活動を生じさせ、音楽幻聴が出現すると考えられる2)。fMRIでは幻視発生時に音楽知覚に関連する脳領域(聴覚皮質)が活性化することが報告されている2)。
経頭蓋磁気刺激(TMS)などの電磁刺激治療について予備的研究が行われており、一時的な症状軽減が報告されている4)。ただし現時点で正式な承認は得られていない。
救急部門での教育的介入(at-risk患者への教育と症状報告促進)が転帰を改善するという枠組みが報告されている6)。CBSの診断遅延を防ぐための系統的なスクリーニングプログラムの開発が今後の課題である。
CBS患者における幻視中と非幻視時の脳活動を比較する高密度EEG研究が行われている(Piarulli et al. 2021)7)。幻視発生中に関与する神経回路の解明が進んでいる。
一部のCBS患者が後に認知症・レビー小体型認知症を発症することが知られている。CBSが認知症の早期マーカーとなりうるか、あるいは年齢による交絡なのかについての解明が課題である。CBS患者は一般人口と比較して死亡率が高い可能性(死亡率マーカー仮説)も指摘されており、長期的な自然経過の研究が求められる。
ACBS(聴覚型CBS)は英語文献でも38件程度しか報告がなく2)、極めてまれな疾患概念である。聴覚皮質を標的とした神経回路の解明と標的療法の開発が今後の研究課題として挙げられている2)。