ウルトラマラソン誘発性角膜浮腫
1. ウルトラマラソン誘発性角膜浮腫とは
Section titled “1. ウルトラマラソン誘発性角膜浮腫とは”ウルトラマラソン誘発性角膜浮腫(ultramarathon-induced corneal edema: UMICE)は、ウルトラマラソン(42.2 km以上)などの長時間の身体的酷使の最中に発症する角膜浮腫である1。運動中止後、通常は数時間以内に消失する一過性の状態である2。
主にウルトラマラソン距離の徒歩レースで報告されているが、サイクリングやクロスカントリースキーなど他の耐久スポーツでも発生する可能性がある1。Høegらによる173名のウルトラマラソンランナーを対象とした調査では、視覚障害発症時の平均走行距離は73±40 km、最も多く報告されたレース距離は161 km(46.8%)であった2。
- 角膜屈折矯正手術歴:LASIKなどの既往が疑わしいリスク因子として挙げられている。Høegらの調査では、視覚障害を経験したランナーは対照群と比較して屈折矯正手術歴を有する割合がほぼ2倍(23.7% vs 12.1%, P<.001)であった2。
- 風への曝露:角膜にストレスを与える外部環境因子がリスクとなる1。
- 角膜ジストロフィ・角膜内皮細胞減少:リスク因子としての関与は調査されていない。
UMICEは主にウルトラマラソン距離(42.2 km以上)のレースで報告されている。通常のマラソン(42.195 km)や短い距離の耐久スポーツでも発症する可能性は否定できないが、報告例はウルトラマラソンに集中している。長時間にわたる身体的酷使が乳酸の蓄積を十分なレベルまで高めることが発症に必要と考えられており、競技時間の長さが重要な因子となる。
2. 主な症状と臨床所見
Section titled “2. 主な症状と臨床所見”臨床所見(医師が診察で確認する所見)
Section titled “臨床所見(医師が診察で確認する所見)”- 角膜浮腫:細隙灯顕微鏡で角膜実質の混濁・肥厚を認める3。
- デスメ膜皺襞:角膜浮腫に伴い軽度のデスメ膜皺襞を認める場合がある1。
- 結膜充血は軽度:眼球は通常充血して見えないが、軽度の球結膜充血を伴うことがある。
- 一過性:運動中止後数時間以内(中央値3.5時間、範囲0〜48時間)に所見が消失するため、受診時には回復していることが多い2。
3. 原因とリスク要因
Section titled “3. 原因とリスク要因”乳酸蓄積理論
Section titled “乳酸蓄積理論”現在の有力な仮説では、UMICEは角膜内での乳酸蓄積によって引き起こされる1。乳酸は角膜代謝における既知の代謝産物であり、角膜実質への蓄積は浸透圧を上昇させ水分を呼び込むことが示されている1。
発症機序の仮説
Section titled “発症機序の仮説”風や汗などの外部からの角膜ストレスが角膜内部の乳酸産生を増加させる。これに長時間の身体的酷使による血液中・房水中の全身的な乳酸上昇が加わり、角膜の乳酸蓄積と浮腫が生じると考えられている。Moshirfarらは、解糖亢進・房水中乳酸の上昇・酸化ストレスが相加的に作用して角膜内皮の正常な調節機能を障害するという多因子仮説を提唱している1。
4. 診断と検査方法
Section titled “4. 診断と検査方法”UMICEは特徴的な状況(ウルトラマラソン中の発症)と症状(無痛性の進行性霧視)、および運動中止後の速やかな回復から臨床的に診断する2。耐久レース参加者が受診する頃には症状が大幅に回復していることが多く、デスメ膜皺襞がわずかに残存する程度の場合がある3。なお、症状を呈さなかった161 kmレース完走者8名を対象にレース前後で角膜厚・眼圧・視力を測定した報告では、いずれの指標にも有意な変化を認めなかった4。
| 鑑別疾患 | 鑑別のポイント |
|---|---|
| 急性角膜水腫 | 疼痛・羞明あり、回復に数週間 |
| 急性緑内障発作 | 疼痛・充血あり、眼圧上昇 |
| 色素分散症候群 | Krukenberg紡錘、虹彩萎縮 |
| ウートフ現象 | 角膜混濁なし、脱髄疾患歴 |
| ドライアイ | 異物感あり、角膜混濁なし |
| 角膜凍結 | 寒冷地発症、疼痛を伴う |
5. 標準的な治療法
Section titled “5. 標準的な治療法”急性期の管理
Section titled “急性期の管理”UMICEがすでに発症している場合、運動の中止が唯一知られている有効な治療法である1。運動中止後、通常は数時間以内(中央値3.5時間)に角膜浮腫は自然に回復する2。Moshirfarらは、必要に応じて5%高張食塩水点眼が角膜の透明性回復を促進しうると述べている1。
- 保護用アイウェア:風・UV光・外部環境ストレスから角膜を保護するゴーグルやサングラスの装着が、長時間耐久スポーツにおける最も有効な予防策と考えられている1。
- 潤滑点眼液:角膜表面の保護目的に使用する3。
UMICEは反復性で、発症ランナーは中央値2レースで同症状を経験している2。保護用アイウェアと潤滑点眼液の使用が推奨される。
保護用アイウェア(ゴーグルやサングラス)の装着と潤滑点眼液の使用が予防策として推奨されている。風への曝露を減らすことで角膜への外部ストレスを軽減し、乳酸産生の増加を抑制する効果が期待される。ただし、これらの予防策の有効性を検証した臨床試験はまだ存在しない。LASIK等の角膜屈折矯正手術歴がある参加者は特に注意が必要とされる。
6. 病態生理学・詳細な発症機序
Section titled “6. 病態生理学・詳細な発症機序”角膜における乳酸代謝
Section titled “角膜における乳酸代謝”角膜は無血管組織であり、酸素供給は主に涙液膜と房水から行われる。角膜上皮と実質は嫌気性解糖により乳酸を産生する。通常、産生された乳酸は角膜内皮のポンプ機能と房水への拡散により排出される1。
UMICEの病態仮説
Section titled “UMICEの病態仮説”長時間の身体的酷使により全身的な乳酸産生が増加し、房水中の乳酸濃度上昇によって角膜から房水への乳酸排出が阻害される1。同時に、風や汗、瞬目の減少などの外部ストレスが角膜局所の乳酸産生を増加させる。角膜実質への乳酸蓄積は浸透圧を上昇させて水分を呼び込み、加えて酸化ストレスや低酸素が角膜内皮の調節機能を障害することで角膜浮腫が進行すると考えられている1。
運動を中止すると、全身的な乳酸産生が速やかに低下する。角膜内の乳酸も排出され、内皮ポンプ機能が回復して角膜浮腫が消退する2。
8. 参考文献
Section titled “8. 参考文献”- Moshirfar M, Ding Y, Ronquillo Y, Birdsong OC, Murri MS. Ultramarathon-Induced Bilateral Corneal Edema: A Case Report and a Review of the Literature. Ophthalmol Ther. 2018;7(1):197-202. doi:10.1007/s40123-018-0125-y. PMID: 29536349; PMCID: PMC5997605.
- Høeg TB, Corrigan GK, Hoffman MD. An investigation of ultramarathon-associated visual impairment. Wilderness Environ Med. 2015;26(2):200-204. doi:10.1016/j.wem.2014.10.003. PMID: 25728559.
- Lindström BE, Høeg TB. Ultramarathon-induced Corneal Edema-A Case Report. Curr Sports Med Rep. 2021;20(1):13-15. doi:10.1249/JSR.0000000000000796. PMID: 33395125.
- Høeg TB, Corrigan GK, Hoffman MD. Eye function and physiology following a 161-km foot race. Res Sports Med. 2018;26(4):500-504. doi:10.1080/15438627.2018.1492394. PMID: 29957073.