この疾患の要点
トロサ・ハント症候群は海綿静脈洞 ・上眼窩 裂・眼窩先端部の特発性肉芽腫性炎症による有痛性眼筋麻痺である。
年間発生率は100万人あたり約1例の希少疾患で、30〜60歳に好発する。
片側性の眼窩後部痛(鋭く持続的)が眼筋麻痺に先行して出現するのが特徴的な経過である。
副腎皮質ステロイド が第一選択薬で、疼痛は通常24〜72時間以内に著明に改善する。
除外診断であり、腫瘍・感染・血管性疾患を十分に排除してからステロイドを開始する。
30〜40%の症例で再発があり、長期の経過観察が必要である。
トロサ・ハント症候群(Tolosa-Hunt Syndrome: THS)は、海綿静脈洞・上眼窩裂・眼窩先端部に生じる特発性肉芽腫性炎症を原因とする有痛性眼筋麻痺である。
1954年 Tolosa :剖検で海綿静脈洞の肉芽腫性炎症を初報告。
1961年 Hunt :6症例を報告し、ステロイド反応性を特徴として記載。
1966年 Smith・Taxdal :「Tolosa-Hunt症候群」と初めて命名した。6)
2004年 :国際頭痛学会(IHS)が初めて疾患分類に収載。現在はICHD-3に収録。
年間発生率:100万人あたり約1例。
好発年齢:30〜60歳。
性差:わずかに女性に多い。
側性:通常片側性。稀に両側性。
以下のA〜D項を満たすものと定義される。
A :片側性の眼窩内または眼窩周囲頭痛。
B :MRIまたは生検で海綿静脈洞・上眼窩裂・眼窩の肉芽腫性炎症を確認し、かつ同側のCN III・IV・VIのうち1つ以上の麻痺を認める。
C :頭痛が肉芽腫と同側で、眼筋麻痺出現の2週間以内に先行または同時発症。
D :他のICHD-3診断でより適切に説明できない。
Q トロサ・ハント症候群はどのくらい珍しい病気か?
A 年間発生率は100万人あたり約1例と非常に希少な疾患で、NORDが希少疾患として認定している。好発年齢は30〜60歳で、わずかに女性に多い傾向がある。
眼窩後部痛 :片側性の鋭く持続的な痛みで、「錐で刺されるような(boring)」性状を呈する。眼窩後部・側頭部・前頭部に放散することがある。2)
疼痛の先行性 :痛みは眼筋麻痺より先行し、最大30日前から出現することがある。2)
複視 :眼筋麻痺に伴い出現。遠方視で悪化しやすい。
その他 :稀に霧視 ・羞明 ・悪心を伴うことがある。
動眼神経(CN III)が最も多く侵され(約80%)、次いで外転神経(CN VI、約70%)の頻度が高い。2)
CN III(動眼神経)
頻度 :最多(約80%)。
所見 :眼瞼下垂 ・「下方かつ外方」眼位・複視。副交感神経線維が侵されれば瞳孔 異常も生じる。
CN IV(滑車神経)
頻度 :CN IIIより低頻度。
所見 :垂直複視を主訴とする。CN IIIと合併して侵されることが多い。
CN VI(外転神経)
頻度 :約70%。
所見 :水平複視・患側の外転障害による内斜視 。外転神経は海綿静脈洞硬膜壁内で保護されない唯一の神経であり、単独麻痺でも侵されやすい。
CN V1(眼神経)
頻度 :比較的多い。
所見 :前頭部の感覚消失または感覚鈍麻。三叉神経 第1枝領域の痛みや感覚異常は前部海綿静脈洞・上眼窩裂病変を示唆する。後部海綿静脈洞病変では三叉神経全枝が障害されうる。
眼球突出 ・結膜 浮腫 :炎症の波及により認めることがある。
RAPD :視神経 障害を合併する場合は眼窩先端部病変を意味し、RAPD(相対的求心性瞳孔反応障害)の有無が重要な所見となる。
ホルネル症候群 :内頸動脈交感神経線維の関与により生じる。
眼球固定(frozen globe) :稀に完全片側性の全眼筋麻痺として出現する。
再発 :30〜40%の症例で再発を認め、同側再発が多い。再発時に異なる脳神経が侵されることがある。3)
Q 眼の痛みと複視が同時に出たらトロサ・ハント症候群を疑うべきか?
A 片側性の眼窩後部痛と眼筋麻痺の組み合わせはTHSに特徴的な症候である。ただし、THSは除外診断であり、腫瘍・感染・血管性病変などを先に排除する必要がある。また30〜40%で再発があるため、ステロイドへの反応後も慎重な経過観察が求められる。
海綿静脈洞・上眼窩裂・眼窩先端部における特発性の無菌性肉芽腫性炎症である。組織病理では線維芽細胞・リンパ球・形質細胞の浸潤および非乾酪性肉芽腫(巨細胞を伴うことあり)が認められ、非特異的肉芽腫性炎症と分類される。
IgG4関連疾患 :THSの一部はIgG4関連眼窩疾患の一型である可能性が指摘されている。
サルコイドーシス ・自己免疫性血管炎 :類似した肉芽腫性炎症を呈しうる。
SLE :THSがSLEの初発症状として出現した報告がある(ANA・抗dsDNA・抗Sm抗体陽性)。6)
多発血管炎性肉芽腫症 (多発血管炎性肉芽腫症) :C-ANCA-PR3陽性の多発血管炎性肉芽腫症患者がTHS様症状で発症した症例報告がある。5)
COVID-19ワクチン後発症 :mRNA・アデノウイルスベクター・不活化ワクチンいずれでも報告あり。接種後5〜35日で発症した症例が複数報告されている。4) 1)
COVID-19感染後発症 :感染後14日で発症した報告がある。7)
典型的なTHSでは感染性・腫瘍性の病因は特定されないが、最近のウイルス感染がリスク因子となりうる。
THSは除外診断 (diagnosis of exclusion)であり、臨床所見・画像所見・血液検査・他疾患の除外を組み合わせて診断する。
MRI/MRAが第一選択である。CTよりも海綿静脈洞・眼窩先端部の詳細情報を提供できる。
MRI所見 :T1強調で灰白質と等信号、T2強調で等〜低信号の異常組織。ガドリニウム造影で均一に増強効果を示す。8) 2) 海綿静脈洞の拡大・硬膜辺縁の凸状変化を認めることがある。8)
撮像条件 :冠状断・水平断で、脂肪抑制またはSTIR条件で撮影する。ガドリニウム造影は炎症と腫瘍の鑑別にきわめて有用である。高解像度3D MRI(CISS法等)により脳神経・海綿静脈洞病変の可視化が向上する。
正常MRIの頻度 :18〜57%の症例で正常MRIが報告されており、画像陰性でも臨床診断を除外できない。8)
治療反応の確認 :ステロイド治療前後のMRI変化で治療効果を確認できるが、画像的消退には数か月を要することがある。8)
MRI/MRA利用不能時 :造影CTAを代替として用いる。
基本項目 :ESR・CRP ・ANA・ANCA・ACE値・IgG4・梅毒血清反応(RPR/FTA-ABS)。
追加項目 :CBC・血糖・抗dsDNA抗体・RF・甲状腺機能・HbA1c・ライム病 パネル・血清蛋白分画。
参考 :末梢血・血沈・CRP・抗核抗体・C-ANCA・P-ANCA・ACE・β-Dグルカンも有用。
髄液検査 :初圧確認、感染やオリゴクローナルバンドの評価のために実施する。再発例では髄液蛋白の軽度上昇を認めることがある。3)
生検 :肉芽腫性炎症の直接証明が可能。手技が困難で侵襲的だが、診断確定・悪性疾患の除外に重要である。8)
以下の主要な鑑別疾患を除外することが求められる。
カテゴリ 主な疾患 ステロイド反応 炎症/自己免疫 サルコイドーシス・多発血管炎性肉芽腫症・IgG4関連疾患 可変 腫瘍 髄膜腫・リンパ腫・転移性癌 なし/最小 感染症 海綿静脈洞血栓症・真菌感染・結核 なし/悪化 血管性 頸動脈海綿静脈洞瘻 ・内頸動脈瘤なし 内分泌/代謝 糖尿病性CN III麻痺 なし その他 眼筋麻痺性片頭痛 ・眼窩偽腫瘍 可変
重症筋無力症 との鑑別にはテンシロンテスト・アイステストが有用で、日内変動の有無が重要な手がかりとなる。なお、ステロイド反応性はTHSを支持するが確定させるものではない。悪性リンパ腫も一時的にステロイドで鎮静化しうる点に注意が必要である。
日本の標準治療では、プレドニゾロン 50〜60 mg/日をまず3日間投与 する。眼窩部痛は劇的に改善することが多い。早期に減量すると再燃するため、注意しながら漸減する。
疼痛改善 :開始後24〜72時間以内が目安。
漸減期間 :3〜4か月にわたる緩徐な漸減が一般的。
重症例 :メチルプレドニゾロン 500〜1000 mg/日を3〜5日間静脈内投与し、その後経口プレドニゾロンで漸減する方法が用いられる。3) 2)
眼球運動の回復 :疼痛より遅れ、数週間〜数か月を要することがある。
難治性・再発性のTHSに対しては以下の薬剤が選択肢となる。
再発を繰り返す症例ではアザチオプリンと低用量ステロイドの併用で再発抑制に成功した報告がある。3) ステロイド抵抗性例ではリツキシマブ も選択肢となる。
治療後MRIで病変消失を確認する。30〜40%の症例で再発があるため長期の経過観察が必要である。
Q ステロイド治療はどのくらいで効果が出るか?
A 疼痛は通常ステロイド開始後24〜72時間以内に著明に改善する。一方、眼球運動の回復は遅れることが多く、数週間から数か月を要することがある。減量を早めると再燃するため、3〜4か月かけて漸減するのが一般的である。
海綿静脈洞・上眼窩裂・眼窩先端部における特発性無菌性肉芽腫性炎症が本態である。組織学的には線維芽細胞・リンパ球・形質細胞の浸潤、非乾酪性肉芽腫(時に巨細胞を伴う)、硬膜の肥厚が認められる。2)
海綿静脈洞内の神経配置 :動眼神経(CN III)が最上部外壁を走行し、その下方に順次、滑車神経(CN IV)・三叉神経(CN V)・外転神経(CN VI)が走行する。外転神経は硬膜壁内で保護されない唯一の神経であり、単独麻痺として現れやすい。
病変の局在 :後部海綿静脈洞から上眼窩裂の間に限局するのが典型的。視神経障害が合併する場合は眼窩先端部病変を示唆する。
肉芽腫性炎症がCN III・IV・V1・VIを直接巻き込み、外因性圧迫による眼筋麻痺と疼痛を生じる。内頸動脈の交感神経線維が関与するとホルネル症候群が出現し、CN IIIの副交感神経線維が関与すると瞳孔異常を来す。
THSの一部はIgG4関連眼窩疾患の一型を代表している可能性がある。この場合、血清IgG4値の上昇と組織へのIgG4陽性形質細胞の浸潤が特徴となる。
Angら(2023)は14例以上のワクチン後眼窩炎症(THS含む)を報告した。Pfizer/BioNTech・Moderna・CoronaVac・Janssen各社のワクチン接種後9時間〜42日(中央値付近では接種後5〜35日)での発症が記録されている。mRNA分子の分解が炎症を惹起する可能性が示唆されており、既往に眼窩炎症がある患者は再発リスクが高い可能性がある。THSはVAERS(ワクチン有害事象報告制度)の特別関心有害事象(AESI)にも記載されている。1) 4)
Goguら(2022)は、COVID-19ワクチン接種後9日目に感染し、さらに2週間後にTHSを発症した45歳男性を報告した。その後、虚血性脳卒中・出血性脳炎を合併し死亡した。免疫異常と感染の二重メカニズムが関与している可能性を示唆する。7)
Nilofar ら(2024)は、THSを初発症状としてSLEが診断された54歳女性を報告した。ANA 4+・抗dsDNA・抗Sm抗体が陽性で、ヒドロキシクロロキン+マイコフェノール酸モフェチルで維持療法が行われた。6)
Mohebbi ら(2024)は、C-ANCA-PR3陽性の多発血管炎性肉芽腫症患者がTHS様症状で発症した40歳女性を報告した。ステロイドパルス+リツキシマブで治療された。5)
Thu ら(2021)は、低用量ステロイドへの反応が不良で3回再発した48歳女性に対し、アザチオプリン 2 mg/kg/日の追加投与を行い再発抑制に成功した症例を報告した。3)
高解像度MRI(3T) :微細な海綿静脈洞炎症の検出感度が向上している。
分子イメージング(PET-CT) :全身性炎症性疾患の除外に有用であり、診断精度向上に貢献すると期待されている。
Q COVID-19ワクチンとトロサ・ハント症候群に関連はあるか?
A 複数のワクチン種別(mRNA・アデノウイルスベクター・不活化)でTHSの発症が報告されており、接種後9時間〜42日の範囲での発症が記録されている。ただし現時点では因果関係は確定していない。THSはVAERSの特別関心有害事象に記載されており、引き続き監視が続けられている。1) 4)
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