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白内障・前眼部

後嚢破損

後嚢破損(Posterior Capsular Rent, PCR)は、白内障手術中に水晶体の後嚢(posterior capsule)に生じる破綻のことである。白内障手術における術中合併症の中で最も頻度が高い合併症のひとつとされる。

後嚢が破損すると、前嚢と後嚢によって隔てられていた前節と後節の隔壁が失われ、硝子体が前房内へ脱出するリスクが生じる。この硝子体脱出(vitreous loss)が発生すると、核落下・牽引性網膜裂孔・眼内炎などの重篤な術後合併症リスクが大幅に上昇する。

発生率は術者の習熟度によって大きく異なる。標準的な術者では1〜2%以内、熟練した術者では0.45〜3.6%と報告されている。一方、研修医では0.8〜8.9%、超音波乳化吸引術に転向したばかりの術者では4.8〜11%に達する。硝子体切除後眼など高リスク症例では9%まで上昇するとの報告もある1)

後嚢破損自体は適切に対処できれば視機能への影響は限定的である。しかし、発生した段階・術眼の併存疾患・術者の習熟度・設備によって結果は大きく異なる。

Q 後嚢破損が起きても視力は回復するか?
A

適切に対処できれば視機能には問題ないことが多い。ただし、核落下・眼内炎・網膜剥離・囊胞様黄斑浮腫などの術後合併症リスクが上昇するため、慎重な経過観察が必要である。術後視力改善までに時間を要することも多い。

後嚢破損は患者ではなく、術者が術中に認識する病態である。術者が破嚢のサインを見逃さないことが最大の課題となる。

局所麻酔下の患者は術中の術者の動揺を感じ取る。術後に「手術が失敗した」と感じることがあるため、術前・術後の丁寧な説明が重要である。

核処理の前半〜中盤では後嚢を直接視認できないため、以下の間接的サインから破嚢を疑う必要がある。

  • 瞳孔領に透明部分が出現する:後嚢が破損すると視野内の一部が透明に見える
  • 前房が急に深くなり核が傾く:後嚢破損により圧力バランスが変化する
  • 核片が突然大きく傾く・沈む:硝子体方向への落ち込みを示す
  • 核片が超音波チップに寄ってこなくなる:吸引力の急激な低下を感じる
  • チップに硝子体が絡み吸引が悪くなる:硝子体が前房内に脱出したサイン
  • 瞳孔が楕円形に引かれる:硝子体脱出による牽引を示す
  • 灌流吸引時に線状の後嚢縁が見える:後嚢の破損縁が視認できる場合

核処理がほぼ終わる段階では後嚢を直接視認できるため、破嚢の確認が容易になる。一方で早い段階での破嚢ほど、その後に必要となる操作が増える。

Q 破嚢に早く気づくことがなぜ重要か?
A

破嚢を認識せずに超音波操作を継続すると、後嚢の破損領域が拡大し、前房内に脱出する硝子体の量が増加する。その結果、核落下や硝子体牽引による医原性網膜裂孔のリスクが大幅に増大する。早期認識により、その後の操作を最小限にとどめることができる。

後嚢破損の原因は、超音波チップ・灌流吸引チップ・フック・眼内レンズなどの器具が後嚢に直接接触・損傷することがほとんどである。具体的には以下のような状況で発生する。

  • 核分割時:無理な力が加わりZinn小帯断裂や後嚢の亀裂が生じる
  • 超音波乳化吸引術時:超音波チップが後嚢に直接当たり、丸い形の破嚢を生じる
  • 灌流吸引時:チップが後嚢を誤吸引する(吸引破損)
  • 眼内レンズ挿入時:ループや光学部が後嚢を押す、粘弾性物質の漏出で後嚢が上昇する
  • 前嚢切開時:連続円形前嚢切開で生じた亀裂が後嚢に回る場合がある

発生時期別では超音波発振時が48.1%、灌流吸引時が31.8%、眼内レンズ挿入時が9.1%と報告されている。

後嚢破損のリスク因子は、患者・術者・機器に分類される1)2)

患者側リスク

後極白内障:後嚢の構造的脆弱により、破嚢発生率が従来30%前後・近年でも15%前後と高い。

落屑症候群:Zinn小帯の脆弱化・散瞳不良・厚く線維化した後嚢を伴う。

硝子体切除後眼:硝子体による支持の欠如で後嚢が不安定となる。後嚢破損の発生率は最大9%に上昇1)

高度近視眼軸長26mm超):後嚢のトランポリン現象を生じやすい1)

褐色・白色白内障:核が硬く、視認性も低下する1)

小瞳孔:作業スペースと視認性が低下する。α1遮断薬(タムスロシンなど)の使用歴に注意1)

術者・機器側リスク

経験の浅い術者:研修医手術では発生率が高い1)

使い慣れない装置・不適切な機器設定:サージ(surge)が発生しやすい。

連続円形前嚢切開不成功:前嚢切開に亀裂が入ると危険性が4倍に上がるとの報告がある。

浅前房・深前房:前房の不安定性につながり、操作難度が上昇する2)

慢性閉塞性肺疾患・肥満・高齢:仰臥位保持が困難で、眼内圧変動が生じやすい2)

術前の適切な評価が後嚢破損の予防の第一歩となる。

評価項目確認内容
病歴眼外傷歴、手術歴、α1遮断薬などの薬剤使用
細隙灯検査角膜の透明度、前房深度、前嚢・後嚢の完全性
チン小帯評価水晶体振盪の有無、落屑物質の付着
  • 後嚢の脆弱性評価:後極白内障(水晶体後嚢下の瞳孔領中央付近の境界明瞭な白色円盤状混濁、直径1.8〜3.0mm)の鑑別が特に重要
  • スペキュラーマイクロスコピー角膜内皮細胞密度の確認(硬い白内障・手術歴・高齢者)
  • 散瞳下眼底検査:後節評価
  • 麻酔方法の検討:不安の強い患者には球後麻酔を考慮
  • 既存の後嚢裂傷:外傷や過去の手術による術前からの破損
  • Zinn小帯断裂:病態生理を共有するが管理法が異なる。水晶体の偏位・震盪が主徴
  • 後極白内障の先天的嚢欠損:術前からすでに嚢支持を欠く場合がある
  • 術中浅前房症候群:急性脈絡膜滲出との鑑別のため直ちに眼底検査を行う

超音波乳化吸引術中は、破嚢の疑いの閾値を低く保ち、常に破嚢のサインに注意する。灌流吸引時に灌流吸引チップが後嚢を誤吸引すると、後嚢に線状の収束する皺(スパイダーサイン)が出現することがある。この場合、ただちにフットペダルの還流(reflux)機能を使用して解除する。

破嚢時の治療は、①残存核の摘出、②前部硝子体切除(+残留皮質切除)、③眼内レンズ固定の3工程からなる。

破嚢時の初期対応(「べからず集」)

Section titled “破嚢時の初期対応(「べからず集」)”

破嚢と判断したら、以下を厳守する。

  • 超音波操作をただちに中断する
  • 超音波チップをすぐに引き抜いてはいけない(前房虚脱→硝子体脱出拡大のリスク)
  • 超音波で硝子体を吸引してはいけない(硝子体は超音波では切れない)
  • 核片残存時に前部硝子体切除を過度に行ってはいけない

正しい手順:サイドポートから粘弾性物質を注入して前房を完全に充填する→ボトルを下げて粘弾性物質が確実に充填されたことを確認する→そのままチップを引き抜く。

核の大きさと破嚢の程度により、以下の方法を選択する。

方法適応利点欠点
ビスコエクストラクション法後嚢破損が小さく核が前房内創口拡大不要、眼圧変動少ない大きな核には不可
娩出法(輪匙など)大きな硬い核、核が傾いている大きな核片も対応可創口拡大必要、駆逐性出血リスク

大きな核が後房内にとどまっている場合は、切開創を余裕を持たせて大きく作製し、全摘術へ移行する。核が前房内に残っている場合は、粘弾性物質で押し出すビスコエクストラクション法が最も組織障害が少ない。

白内障手術装置付属の前部硝子体カッターと灌流針を用いて、両側の角膜サイドポートから前部硝子体を十分に切除する。カッターを吸引優先モードにして残留皮質を吸引する。

重要:前部硝子体を十分に郭清する前に皮質吸引を行うと、創に嵌頓した硝子体によって破嚢部が拡大する。手術終了時には縮瞳させ、硝子体が創口やサイドポートに嵌頓していないことを確認する。瞳孔が正円にならない場合は嵌頓硝子体を切除するか、フックでワイピングして除去する。

眼内レンズの固定法は残存する嚢の状態によって決定する。

  • 連続円形前嚢切開縁が全周に残存している場合:3ピース(3P)アクリルの眼内レンズを囊外固定(毛様体溝固定)する。予定眼内レンズ度数より0.5〜1.0D弱い度数の眼内レンズを挿入する。
  • 連続円形前嚢切開が残存し前嚢切開が保たれている場合:マルチピースの眼内レンズの支持部を囊外に出し、光学部を囊内に挿入して前嚢にoptic captureさせる。
  • 嚢の損傷が大きい場合:眼内レンズの強膜縫着術または強膜内固定が適応となる。

破嚢時の手術では以下の目標をすべて達成することを目指す。

  • 核片を硝子体中に落下させない
  • 術中に硝子体に牽引をかけ、医原性網膜裂孔を作らない
  • エピニュクレウス・皮質を残さない
  • 眼内レンズを中心固定させる
  • 脱出硝子体を創部に嵌頓させない
  • 縮瞳させ瞳孔正円を確認する
  • 術後眼内炎リスクが上昇するため、創口縫合を考慮し慎重に経過観察する
Q 核が硝子体腔に落下してしまった場合はどうするか?
A

落下核は前房からの操作では取り出せず、毛様体扁平部から3ポート硝子体手術が必要となる。炎症・眼圧上昇のリスクがあるため、角膜が透明になった後、網膜専門医または硝子体手術医への紹介を検討する。核落下の頻度は標準的な術者で0.1%以下とされる。

6. 病態生理学・詳細な発症機序

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後嚢は水晶体上皮細胞によって産生されるIV型コラーゲンとグリコサミノグリカンからなる弾力性のある基底膜である。前部・後部の赤道前帯では厚さ約20ミクロンであるが、中心後極部では2〜4ミクロンときわめて薄い。この構造的特性が後嚢を破損しやすくしている。

後嚢の厚さは加齢とともに(後極部を除いて)減少するため、高齢者では破損リスクが増す。また、後極白内障では混濁部周囲の後嚢が構造的に脆弱であり、手術以前にすでに自然発生的な後嚢破損を生じている症例もある。

後嚢破損が生じると、前房と後房の圧力バランスが急激に変化する。前硝子体膜(anterior hyaloid membrane)が損傷されると、前房内に硝子体が脱出し始める。この際、超音波操作を継続すると以下の連鎖が起こる。

  1. 破損領域の急激な拡大
  2. 前房内への硝子体脱出量の増加
  3. 核落下リスクの急激な上昇
  4. 硝子体牽引による医原性網膜裂孔の発生

チップを急激に引き抜くと前房虚脱が起こり、硝子体のさらなる前房内移動と後嚢破損の拡大を招く。

後極白内障における特殊な機序

Section titled “後極白内障における特殊な機序”

後極白内障は、混濁部の後嚢の構造的脆弱を特徴とする。超音波チップを灌流吸引チップを創口から抜いた瞬間に、硝子体圧により急に前房が浅くなると同時に後嚢破損が生じやすい。このため、チップ引き抜き前には必ず粘弾性物質で前房を完全に置換してから抜去する。ハイドロダイセクションは禁忌であり、ハイドロデリニエーションにより核とエピニュクレウスを分離してクッションとして使用する手技が安全性を高める。


7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)

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フェムト秒レーザー補助下白内障手術

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フェムト秒レーザー補助下白内障手術は、後嚢破損のリスクが高い膨隆白内障(intumescent cataract)において、より安全で便利な嚢切開が可能とされている。レーザーによる高精度な嚢切開が、その後の手術操作の安全性向上に寄与すると期待されている。ただし、フェムト秒レーザー補助下嚢切開に関連した嚢ブロック症候群(Capsular Block Syndrome)の報告もあり、注意が必要である1)

術中硝子体可視化のためのトリアムシノロン注入

Section titled “術中硝子体可視化のためのトリアムシノロン注入”

硝子体が前房内に脱出している場合、透明なため視認が難しく処置が不完全になることがある。前房内トリアムシノロン注入により硝子体を可視化する技術が、前部硝子体切除の精度向上に貢献するとの報告がある1)。現時点では一般的な標準手技として確立されていない。


  1. American Academy of Ophthalmology Preferred Practice Pattern Cataract and Anterior Segment Committee. Cataract in the Adult Eye Preferred Practice Pattern. Ophthalmology. 2022;129(1):P1-P126.
  2. Cataract Clinical Practice Guidelines. European Society of Cataract and Refractive Surgeons (ESCRS). 2023.
  3. Segers MHM, Behndig A, van den Biggelaar F, et al. Risk factors for posterior capsule rupture in cataract surgery as reflected in the European Registry of Quality Outcomes for Cataract and Refractive Surgery. J Cataract Refract Surg. 2022;48:51-55.

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