眼球運動所見
水平共同注視麻痺:両側の水平方向への共同注視が障害される。外転・内転ともに制限される。
輻輳の保持:輻輳時の内転は保たれる。外転神経核の欠損が原因であり、動眼神経の輻輳経路は温存されているため。
顔面神経麻痺:程度は症例により異なるが、仮面様の表情を呈することがある。

アサバスカン脳幹発育不全症候群(Athabascan Brainstem Dysgenesis Syndrome; ABDS)は、脳幹の発育不全を来す極めて稀な先天性症候群である。先天性水平共同注視麻痺、感音難聴、中枢性低換気、発達遅滞、および顔面神経麻痺を含む多様な臨床像を呈する。
本症候群はHOXA1遺伝子のホモ接合型機能喪失変異によって発症する1)。先天性頭蓋神経運動異常症(congenital cranial dysinnervation disorders; CCDDs)の一型に分類される。CCDDsは頭蓋運動ニューロンの発生異常に起因する疾患群であり、神経仕様決定の異常と軸索誘導の異常の2つの機序に大別される1)。ABDSは前者に該当する。
以前はメビウス症候群と誤診されることがあったが、感音難聴・水平共同注視麻痺・中枢性低換気といったメビウス症候群には通常認められない特徴を持つ独立した症候群として認識されている。
メビウス症候群は非進行性の顔面神経麻痺と眼球外転障害を主徴とする孤発性の疾患である。ABDSでは感音難聴・中枢性低換気・中等度〜重度の発達遅滞を伴うが、メビウス症候群ではこれらは通常認められない。詳細は「鑑別すべき疾患」の項を参照。
ABDSは出生時から以下の症状を呈する。
眼球運動所見
水平共同注視麻痺:両側の水平方向への共同注視が障害される。外転・内転ともに制限される。
輻輳の保持:輻輳時の内転は保たれる。外転神経核の欠損が原因であり、動眼神経の輻輳経路は温存されているため。
顔面神経麻痺:程度は症例により異なるが、仮面様の表情を呈することがある。
全身所見
感音難聴:脳幹聴覚誘発電位(BAER)で確認される。両側性。
中枢性低換気:基礎となる肺疾患や神経筋疾患を伴わない呼吸不全。低酸素症・呼吸性アシドーシスを呈する。
心血管奇形:心流出路異常などの血管奇形を伴うことがある。
声帯麻痺・てんかん発作:一部の症例で認められる。
ABDSの原因遺伝子はHOXA1である。HOXA1遺伝子のホモ接合型機能喪失ナンセンス変異により、切断型タンパク質(truncated protein)が産生される1)。HOXA1は後脳のパターニングに必須の転写因子であり、その欠損は両側性のDuane後退症候群様眼球運動障害、感音難聴、顔面筋力低下、中枢性低換気、血管奇形、知的障害を引き起こす1)。
遺伝形式は常染色体劣性である。これは以下の所見から支持される。
これまでの報告はすべてアサバスカン系ネイティブアメリカンに限られる。
| 部族 | 推定有病率 | 備考 |
|---|---|---|
| ナバホ族 | 出生3,000人に1人 | 最初に報告 |
| アパッチ族 | 不明 | のちに症例報告 |
遺伝的ボトルネック(集団の規模縮小)により稀な対立遺伝子が遺伝子プール内で濃縮されたことが、この集団における高い有病率の原因と考えられている。
現時点で報告例はナバホ族とアパッチ族に限られている。ただし、HOXA1遺伝子の別の変異によるボスレー・サリ・アロライニー症候群がサウジアラビア系やトルコ系で報告されており、HOXA1欠損症自体は民族を問わず発症しうる。
Holveらが提唱した診断基準は以下の通りである。
HOXA1遺伝子の機能喪失型ナンセンス変異を同定する遺伝子検査が利用可能である。確定診断に有用である。
メビウス症候群
共通点:非進行性の顔面神経麻痺、眼球外転障害
鑑別点:メビウス症候群では通常、感音難聴・中枢性低換気・中等度〜重度の発達遅滞・声帯麻痺を伴わない。ほとんどが孤発性である。
眼球運動所見:Mobius症候群は両眼性の水平眼球運動障害と仮面様顔貌を呈し、閉瞼不全や過剰流涙を伴うことがある。
ボスレー・サリ・アロライニー症候群
共通点:HOXA1欠損症、水平共同注視麻痺、難聴
鑑別点:中枢性低換気を伴わない。サウジアラビア系・トルコ系に多い。HOXA1遺伝子のフレームシフト(挿入)変異が原因であり、ABDSのナンセンス変異とは変異の種類が異なる。
脳血管奇形:両側性のDuane後退症候群3型を呈し、自閉症や発達遅滞を伴うことがある。
HOXA1遺伝子検査は研究レベルで実施可能である。臨床症状から本症候群が疑われる場合、遺伝子診療部門のある専門医療機関への紹介が推奨される。
ABDSに対する根治療法は現時点で存在しない。治療は対症療法が中心となる。
中枢性低換気に対しては酸素補給および人工呼吸管理が必要である。先天性中枢性低換気症候群(CCHS)に準じた管理が参考となる。CCHSでは気管切開下の陽圧換気、非侵襲的陽圧換気(NIPPV)、横隔膜ペーシングなどが年齢や重症度に応じて選択される2)3)。
一部の患者では年齢とともに呼吸中枢の活動が改善することが報告されている。
先天性感音難聴に対する補聴器の装用や人工内耳の検討が必要である。手話による早期介入は深刻なコミュニケーション障害の防止に有益とされる。
アサバスカン系集団では有病率が高いため、ABDSの特徴を1つでも認めた場合は以下の精査が推奨される。
重症度は個人差が大きい。一部の患者では年齢とともに呼吸中枢の活動や嚥下機能が改善することが確認されているが、生涯にわたるモニタリングが必要である。
HOXA1はホメオボックス転写因子の一つであり、後脳(hindbrain)のパターニング、すなわち菱脳節(rhombomere)の適切な形成に不可欠な役割を果たす。マウスモデルの研究では、HOXA1が後脳、脳神経、内耳、頭蓋骨、頭蓋顔面構造の正常な発達に関与していることが示されている。さらに心血管系の発達との関連も報告されている。
CCDDsの神経仕様決定異常においては、脳幹のパターニングに必要な特定の転写因子の機能喪失変異が脳幹内の特定の運動神経核の欠損を引き起こす1)。HOXA1の場合、菱脳節の発育異常が生じ、特に第5菱脳節から発生する外転神経運動ニューロンが障害される。
両側の外転神経核の欠損により、以下の眼球運動障害が生じる。
内耳の発育不全は、後脳神経外胚葉からのシグナル伝達異常に関連すると考えられている。HOXA1は内耳の正常発達に必要であり、その欠損は感音難聴を引き起こす1)。
発達遅滞の正確な機序はまだ完全には解明されていない。以下の複合的要因が提唱されている。
この仮説は、低標高地で育った2人のナバホ族患者に発達遅滞が認められなかった事実により支持されている。また、脳幹の正常発達そのものが認知発達に必要であるという仮説も提唱されている。
ABDSにおける中枢性低換気はHOXA1欠損に起因するが、類似の中枢性低換気を主徴とする先天性中枢性低換気症候群(CCHS)では、PHOX2B遺伝子変異が原因として知られている2)。PHOX2Bは網様体傍巨大細胞核(retrotrapezoid nucleus; RTN)のCO₂感受性ニューロンの発達に必要な転写因子である4)。
Madaniら(2021)のマウスモデル研究では、Phox2b27Ala/+変異が中枢性無呼吸に加え、舌下神経核の低形成を介して閉塞性無呼吸も引き起こすことが示された4)。RTN特異的なPhox2b欠損では閉塞性イベントは誘発されず、舌下神経運動ニューロンの障害が上気道閉塞の主因と考えられた。
ABDSとCCHSはいずれも脳幹発生に関わる転写因子の異常による中枢性低換気を呈するが、原因遺伝子と病態機序は異なる。CCHSの研究成果がABDSの呼吸管理戦略に応用できる可能性がある。
HOXA1欠損症はABDS(ナンセンス変異)とボスレー・サリ・アロライニー症候群(フレームシフト変異)という2つの表現型を呈しうる。変異の種類と臨床像の関連、遺伝的修飾因子の同定が今後の研究課題である。CCDDs全体の遺伝学的研究の進展により、ABDSの病態理解も深まることが期待される1)。