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神経眼科

宇宙飛行関連神経眼科症候群(SANS)

SANS(Spaceflight-Associated Neuro-Ocular Syndrome:宇宙飛行関連神経眼科症候群)は、長期宇宙滞在中に宇宙飛行士に見られる一連の神経眼科的所見・症状の総称である。

以前はVIIP(Visual Impairment and Intracranial Pressure)症候群と呼ばれていたが、頭蓋内圧上昇のみでは病態を説明できないことが明らかになったため、現在の名称に変更された。

SANSの発生頻度は、ミッション期間によって異なる。

  • 短期シャトルミッション後:最大23%が近接視力の変化を自覚
  • ISS長期ミッション後:最大48%が近接視力の変化を自覚
  • 30日超のミッション従事者:自覚症状の有無にかかわらず最大45%に眼球異常を確認

なお、年間の宇宙飛行士数は約12名(3か月ごとに約3名)と少なく、統計的なサンプルサイズに制限がある点に留意が必要である。

Q SANSはどのくらいの頻度で発生するのか?
A

ISS長期ミッション後には最大48%の宇宙飛行士が近接視力の変化を自覚し、30日超のミッション従事者では最大45%に(自覚症状がなくても)眼球異常が認められる。ただし年間の宇宙飛行士数は約12名と少なく、解析に用いられるサンプルサイズは限られる。

  • 近接視力の低下:最大1.5ディオプターの遠視化シフトとして現れる。微小重力曝露から早ければ3週間で出現する。
  • 暗点(Scotomas):視野の一部が欠損する。
  • 遠距離視力の低下:眼球形態の変化に伴い生じる。
  • 頭痛:一部の宇宙飛行士で報告されている。

IIHでよくみられる複視・拍動性耳鳴・一過性視覚喪失・悪心・嘔吐はSANSではみられない点がIIHとの重要な相違点である。

臨床所見(医師が確認する所見)

Section titled “臨床所見(医師が確認する所見)”
  • 視神経乳頭浮腫:無症状の場合もあり、左右非対称な両側性浮腫が生じることがある。地上のIIHでみられる同心円状のパトン線とは異なり、SANSでは線状の皺を呈する。
  • 脈絡膜皺襞(Choroidal folds):後極部で網膜皺襞より先に出現する。
  • 軟性白斑(Cotton wool spots):網膜の虚血性変化として認められる。
  • OCTでの神経線維層肥厚:視神経乳頭周囲の網膜神経線維層が肥厚する。
  • 眼球平坦化:眼球後極部が平坦化し、眼軸長が短縮する。
  • 遠視化シフト(Hyperopic shift)屈折検査で遠視度数の増加として確認される。

なお、IIHでは治療後に視神経萎縮が残ることがあるが、SANSではこの所見は認められていない。眼圧測定はSANS発症の信頼できる指標ではないとされている。

Q SANSの症状は地球帰還後も持続するのか?
A

IIHとは異なり、SANSでは現時点で視神経萎縮は報告されていない。ただし、帰還後も遠視化シフトや眼球平坦化が続く例があることが知られており、長期的な経過についての研究が進められている。

ISSなどの長期宇宙滞在における微小重力環境への長期曝露が最大のリスク因子であり、曝露量に依存して発症リスクが高まる。

  • 高塩分食:宇宙食に関連した塩分過多が体液貯留に影響する可能性がある。
  • 強度のレジスタンス運動:腹圧上昇を介した頭蓋内圧への影響が指摘されている。
  • CO2濃度上昇への感受性:ISS船内のCO2濃度は地上の約10倍に達し、脳血管拡張を介した頭蓋内圧上昇への寄与が示唆されている。
  • 栄養不足:特に葉酸・ビタミンB12の不足が関連する。
  • 一炭素代謝経路の生化学的異常:シアノコバラミン・葉酸依存性の代謝経路の酵素多型が素因となる可能性がある。

眼科的症状を呈した宇宙飛行士では、飛行中の血清葉酸値が低下する傾向が確認されている。ビタミンB12血清濃度には差がみられないが、眼科症状を呈した例では長期滞在後の血清メチルマロン酸濃度が顕著に高い。

Q 宇宙飛行士の中でSANSを発症しやすい人の特徴はあるか?
A

一炭素代謝経路の生化学的異常を持つ人、飛行中の血清葉酸値が低い人、飛行後に血清メチルマロン酸濃度が顕著に高い人でリスクが高い可能性がある。CO2濃度上昇への感受性や高塩分食・強度のレジスタンス運動といった生活・環境因子も関与すると考えられている。

SANSの診断は複数のモダリティを組み合わせて行われる。各検査の実施場所と目的を以下に示す。

検査法実施場所主な目的・所見
MRI地上(飛行前後)視神経鞘径増大・眼球後極部平坦化・下垂体陥凹
眼窩超音波ISS船内眼球平坦化の定性的検出
OCT・眼底検査ISS船内(地上送信)乳頭浮腫・皺襞・軟性白斑の確認
腰椎穿刺地上のみCSF初圧測定(正常〜境界域)

飛行前後に実施されるMRIでは、以下の所見が確認される。

  • 視神経鞘径の増大・視神経径の増大・視神経の「キンク(屈曲)」
  • T2高信号域(宇宙飛行士の96%に認められる)
  • 眼球後極部の平坦化・下垂体上縁の陥凹・下垂体茎の後方偏位・脳の頭側シフト
  • OCTアンギオグラフィ(OCTA):最近ISSに導入された。脈絡膜血流の変化に関する定量的データの取得が期待されている。
  • 屈折検査:遠視化シフトの程度を定量評価する。
  • 臨床検査:シアノコバラミン・葉酸依存性一炭素代謝経路の酵素欠損を調べる。
  • 腰椎穿刺(LP):地上でのみ実施可能。CSF初圧は正常〜境界域であることが多い(着陸2か月後に最高28.5 cmH2Oが記録された例あり)。診断における有用性については議論がある。

なお、眼圧測定はSANS発症の信頼できる指標とはならないことが、NASAの宇宙飛行士健康監視プロトコルで明記されている。

SANSの管理は「治療(treatment)」ではなく「対抗策(Countermeasures)」としてのアプローチが基本である。宇宙という特殊環境下での選択肢は限られており、以下の3つが主な対抗策として用いられる。

栄養補充

葉酸・ビタミンB12補充:一炭素代謝経路の潜在的酵素欠陥を補うための栄養管理。

眼科症状を呈した宇宙飛行士では血清葉酸値の低下が確認されており、その補完が対抗策の主軸となる。

ゴーグル

水泳用ゴーグル(Swim goggles)篩状板を介した圧力勾配(Translaminar pressure difference: TLPD)の相対的減少を目的として使用する。

眼球周囲に陽圧をかけることで、視神経への圧力差を軽減する。

薬物療法

アセタゾラミド:CSF産生抑制を目的として選択的に使用される。

全例に適用されるわけではなく、症例の状況に応じて判断される。

6. 病態生理学・詳細な発症機序

Section titled “6. 病態生理学・詳細な発症機序”

SANSの発症機序は単一ではなく、複数の仮説が提唱されている。現時点では多因子性と考えられており、個々の宇宙飛行士でその寄与度が異なる可能性がある。

微小重力環境では重力によるリンパ・CSF・血管の排泄機能が損なわれ、頭部・頸部・眼窩への頭側体液シフトが発生する。この体液シフトにより、脳内(頭蓋内圧)および眼窩内(視神経鞘内)の静水圧が上昇すると考えられている。

仮説1:頭蓋内圧上昇説

頭側体液シフト→頭蓋内容積・圧力の上昇。

CSF圧上昇→視神経鞘を通じて眼窩に伝達→乳頭浮腫・眼球平坦化。

渦静脈の還流阻害→脈絡膜肥厚→眼軸長短縮・遠視化シフト。

反論:IIHの古典的症状(頭痛・耳鳴・一過性視覚喪失)が欠如。飛行中のCSF初圧データも不足しており、「IIH様」理論には議論がある。

仮説2:視神経鞘コンパートメント症候群説

CSF生理学的変化と視神経鞘内の流動・排泄の個人差が重複する。

逆流防止弁様システム:視神経鞘が閉鎖コンパートメントを形成し、脳周囲CSF圧を上昇させずに視神経鞘内にCSFが閉じ込められる。

CSF注入研究:視神経鞘は個人差のある飽和点まで線形に拡大→IIHやSANSの左右非対称所見を説明可能。

  • リンパ排泄の関与:リンパ系の排泄能力の低下が浮腫形成に寄与する可能性がある。
  • 脈絡膜拡張:脈絡膜容積の増大が網膜・脈絡膜皺襞・眼球後極部平坦化・遠視化の一因となる。
  • 高CO2環境:ISS内CO2濃度は地上の約10倍。脳血管拡張を介した頭蓋内圧への寄与を過小評価すべきではない。
  • 放射線曝露:地球磁気圏外の深宇宙探査ミッションでは有害な放射線量への曝露が生じ、脳実質の炎症・血液脳関門(BBB)障害を介した頭蓋内圧上昇の可能性がある。
Q SANSは特発性頭蓋内圧亢進症(IIH)と同じ病態なのか?
A

SANSとIIHは類似した所見(視神経乳頭浮腫・視神経鞘拡大など)を呈するが、SANSではIIHの古典的症状(頭痛・拍動性耳鳴・一過性視覚喪失など)が欠如する。飛行中のCSF初圧データも不足しており、「IIH様」理論には議論がある。病態の中心には頭側体液シフトや視神経鞘コンパートメント化など、宇宙飛行特有の機序が関与すると考えられている。


7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)

Section titled “7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)”
  • OCTAのISS導入:脈絡膜血流変化の包括的・定量的データ取得が可能となり、SANSの病態解明に寄与することが期待されている。
  • AI(CNN)によるOCT画像解析:軽量畳み込みニューラルネットワーク(CNN)を用いた飛行中のOCT画像解析が試みられており、SANS特有の変化の自動検出をめざした研究が進んでいる。

月・火星ミッションなど地球磁気圏外の深宇宙探査では、ISSに比べて格段に高い放射線量への曝露が見込まれる。放射線による脳実質炎症・BBB障害とSANS発症との関連解明が今後の重要な研究課題となっている。

一炭素代謝経路の遺伝的多型スクリーニング

Section titled “一炭素代謝経路の遺伝的多型スクリーニング”

SANS発症に個人差があることは、遺伝的素因の存在を示唆している。一炭素代謝経路の酵素多型スクリーニングによってSANS高リスク宇宙飛行士を事前に同定し、予防的介入を行うアプローチが検討されている。

水泳用ゴーグルによる圧力制御

Section titled “水泳用ゴーグルによる圧力制御”

篩状板を介した圧力勾配(TLPD)を水泳用ゴーグルで制御するという新しいアプローチも研究段階にある。眼球周囲への陽圧付加が視神経への圧力差を軽減できるかどうかの検証が進められている。


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