栄養補充
葉酸・ビタミンB12補充:一炭素代謝経路の潜在的酵素欠陥を補うための栄養管理。
眼科症状を呈した宇宙飛行士では血清葉酸値の低下が確認されており、その補完が対抗策の主軸となる。

SANS(Spaceflight-Associated Neuro-Ocular Syndrome:宇宙飛行関連神経眼科症候群)は、長期宇宙滞在中に宇宙飛行士に見られる一連の神経眼科的所見・症状の総称である。
以前はVIIP(Visual Impairment and Intracranial Pressure)症候群と呼ばれていたが、頭蓋内圧上昇のみでは病態を説明できないことが明らかになったため、現在の名称に変更された。
SANSの発生頻度は、ミッション期間によって異なる。
なお、年間の宇宙飛行士数は約12名(3か月ごとに約3名)と少なく、統計的なサンプルサイズに制限がある点に留意が必要である。
ISS長期ミッション後には最大48%の宇宙飛行士が近接視力の変化を自覚し、30日超のミッション従事者では最大45%に(自覚症状がなくても)眼球異常が認められる。ただし年間の宇宙飛行士数は約12名と少なく、解析に用いられるサンプルサイズは限られる。
IIHでよくみられる複視・拍動性耳鳴・一過性視覚喪失・悪心・嘔吐はSANSではみられない点がIIHとの重要な相違点である。
なお、IIHでは治療後に視神経萎縮が残ることがあるが、SANSではこの所見は認められていない。眼圧測定はSANS発症の信頼できる指標ではないとされている。
IIHとは異なり、SANSでは現時点で視神経萎縮は報告されていない。ただし、帰還後も遠視化シフトや眼球平坦化が続く例があることが知られており、長期的な経過についての研究が進められている。
ISSなどの長期宇宙滞在における微小重力環境への長期曝露が最大のリスク因子であり、曝露量に依存して発症リスクが高まる。
眼科的症状を呈した宇宙飛行士では、飛行中の血清葉酸値が低下する傾向が確認されている。ビタミンB12血清濃度には差がみられないが、眼科症状を呈した例では長期滞在後の血清メチルマロン酸濃度が顕著に高い。
一炭素代謝経路の生化学的異常を持つ人、飛行中の血清葉酸値が低い人、飛行後に血清メチルマロン酸濃度が顕著に高い人でリスクが高い可能性がある。CO2濃度上昇への感受性や高塩分食・強度のレジスタンス運動といった生活・環境因子も関与すると考えられている。
SANSの診断は複数のモダリティを組み合わせて行われる。各検査の実施場所と目的を以下に示す。
| 検査法 | 実施場所 | 主な目的・所見 |
|---|---|---|
| MRI | 地上(飛行前後) | 視神経鞘径増大・眼球後極部平坦化・下垂体陥凹 |
| 眼窩超音波 | ISS船内 | 眼球平坦化の定性的検出 |
| OCT・眼底検査 | ISS船内(地上送信) | 乳頭浮腫・皺襞・軟性白斑の確認 |
| 腰椎穿刺 | 地上のみ | CSF初圧測定(正常〜境界域) |
飛行前後に実施されるMRIでは、以下の所見が確認される。
なお、眼圧測定はSANS発症の信頼できる指標とはならないことが、NASAの宇宙飛行士健康監視プロトコルで明記されている。
SANSの管理は「治療(treatment)」ではなく「対抗策(Countermeasures)」としてのアプローチが基本である。宇宙という特殊環境下での選択肢は限られており、以下の3つが主な対抗策として用いられる。
栄養補充
葉酸・ビタミンB12補充:一炭素代謝経路の潜在的酵素欠陥を補うための栄養管理。
眼科症状を呈した宇宙飛行士では血清葉酸値の低下が確認されており、その補完が対抗策の主軸となる。
ゴーグル
水泳用ゴーグル(Swim goggles):篩状板を介した圧力勾配(Translaminar pressure difference: TLPD)の相対的減少を目的として使用する。
眼球周囲に陽圧をかけることで、視神経への圧力差を軽減する。
薬物療法
アセタゾラミド:CSF産生抑制を目的として選択的に使用される。
全例に適用されるわけではなく、症例の状況に応じて判断される。
SANSの発症機序は単一ではなく、複数の仮説が提唱されている。現時点では多因子性と考えられており、個々の宇宙飛行士でその寄与度が異なる可能性がある。
微小重力環境では重力によるリンパ・CSF・血管の排泄機能が損なわれ、頭部・頸部・眼窩への頭側体液シフトが発生する。この体液シフトにより、脳内(頭蓋内圧)および眼窩内(視神経鞘内)の静水圧が上昇すると考えられている。
仮説1:頭蓋内圧上昇説
頭側体液シフト→頭蓋内容積・圧力の上昇。
CSF圧上昇→視神経鞘を通じて眼窩に伝達→乳頭浮腫・眼球平坦化。
渦静脈の還流阻害→脈絡膜肥厚→眼軸長短縮・遠視化シフト。
反論:IIHの古典的症状(頭痛・耳鳴・一過性視覚喪失)が欠如。飛行中のCSF初圧データも不足しており、「IIH様」理論には議論がある。
仮説2:視神経鞘コンパートメント症候群説
CSF生理学的変化と視神経鞘内の流動・排泄の個人差が重複する。
逆流防止弁様システム:視神経鞘が閉鎖コンパートメントを形成し、脳周囲CSF圧を上昇させずに視神経鞘内にCSFが閉じ込められる。
CSF注入研究:視神経鞘は個人差のある飽和点まで線形に拡大→IIHやSANSの左右非対称所見を説明可能。
SANSとIIHは類似した所見(視神経乳頭浮腫・視神経鞘拡大など)を呈するが、SANSではIIHの古典的症状(頭痛・拍動性耳鳴・一過性視覚喪失など)が欠如する。飛行中のCSF初圧データも不足しており、「IIH様」理論には議論がある。病態の中心には頭側体液シフトや視神経鞘コンパートメント化など、宇宙飛行特有の機序が関与すると考えられている。
月・火星ミッションなど地球磁気圏外の深宇宙探査では、ISSに比べて格段に高い放射線量への曝露が見込まれる。放射線による脳実質炎症・BBB障害とSANS発症との関連解明が今後の重要な研究課題となっている。
SANS発症に個人差があることは、遺伝的素因の存在を示唆している。一炭素代謝経路の酵素多型スクリーニングによってSANS高リスク宇宙飛行士を事前に同定し、予防的介入を行うアプローチが検討されている。
篩状板を介した圧力勾配(TLPD)を水泳用ゴーグルで制御するという新しいアプローチも研究段階にある。眼球周囲への陽圧付加が視神経への圧力差を軽減できるかどうかの検証が進められている。