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神経眼科

アントン症候群

アントン症候群(Anton Syndrome)は、皮質盲(cortical blindness)を呈する患者が自身の視力喪失を認識せず、存在しない視覚体験を語る視覚病態失認(visual anosognosia)の状態である。患者は盲目であるにもかかわらず、見えているものを詳細に説明しようとする作話(confabulation)を行う。

本疾患の命名はオーストリアの神経学者 Gabriel Anton にちなむ。Anton は両側側頭葉病変で後天性病態失認と難聴を呈した69歳症例を報告した。また「anosognosia(病態失認)」という用語はJoseph Babinskiが造語したことから、別名「Anton-Babinski症候群」とも呼ばれる。視覚病態失認の最初の記述はローマ時代の奴隷ハルパステ(Harpaste)に遡る。ハルパステは自身の失明を否定し、部屋が暗いと訴えたとされる。

シャルル・ボネ症候群との違いについては留意が必要である。シャルル・ボネ症候群は視力障害患者が幻視を経験するが、自身の視力障害への洞察は保たれる点でアントン症候群と根本的に異なる。

疫学については年齢中央値が55歳(6〜96歳)であり、性別差は認めない。脳血管障害(CVA)に続発するケースが最多であり、複数の血管リスク因子を持つ高齢者に多い。後大脳動脈(PCA)脳卒中は全脳卒中の5〜10%を占めるとされる。1) 1965〜2016年の間にアントン-Babinski症候群はわずか28例しか報告されておらず、極めて稀な疾患である。2)

Q アントン症候群とシャルル・ボネ症候群はどう違うのか?
A

アントン症候群は皮質盲の患者が自身の失明を否定し作話を行うもので、洞察が欠如している。一方シャルル・ボネ症候群は視力障害患者が幻視を経験するものの、自身の視力障害への洞察は保持されている。両者は視覚障害を背景に持つが、病態失認の有無という点で根本的に異なる。

  • 視力喪失の否定:患者は自身の視力喪失を認識しない。物体にぶつかっても、暗い部屋のせいにするなど外部要因に帰属させる。
  • 作話:存在しない人物や状況を詳細に説明する。握手を求めると誤った方向へ手を伸ばす。
  • 色覚の部分的保持:色覚が保持されることがある。動くものは認識できるが静止物の認識は困難な場合がある。これはV5野がV1をバイパスする皮質下線維経路によるものである。1)

臨床所見(医師が診察で確認する所見)

Section titled “臨床所見(医師が診察で確認する所見)”
  • 視力:完全喪失(NLP: no light perception)であるが、患者本人は気づいていない。
  • 瞳孔反射:正常。後頭葉病変は外側膝状体より後方に位置するため、瞳孔経路に影響しない。対光反射の求心路は外側膝状体の手前で中脳視蓋前域に向かう。
  • 眼底検査:正常。眼球内に器質的異常は認めない。1)
  • 威嚇瞬目反射:陰性。
  • 眼球運動:口頭指示には正常に従うが、視覚的な追従は不能。
  • 角膜反射:正常(皮質入力に依存しない)。
  • 視野検査同名半盲(homonymous hemianopia)。PCA脳卒中でV1障害の場合、30%に調和性同名半盲が出現する。1)
  • Riddoch現象:静止物は認識できないが動くものは認識可能。1917年にRiddochが報告した現象であり、皮質盲の一特徴として知られる。
  • 盲視(blindsight):視覚刺激を意識的に認識できないにもかかわらず、刺激に無意識に反応する現象。LGB-V1経路以外の視覚経路(V2・V3・V4・V5/MT野・FST・LIP)の関与が示唆されている。
Q 皮質盲なのに瞳孔反射が正常なのはなぜか?
A

対光反射の求心路は外側膝状体(LGB)の手前で中脳視蓋前域に向かい、後頭葉(一次視覚野)を経由しない。そのため後頭葉の障害があっても対光反射は保たれる。眼底所見が正常であることと合わせて、皮質盲の特徴的な所見となっている。

アントン症候群の主要な原因と関連リスク因子を以下に示す。

血管性原因

両側PCA脳梗塞:最多原因。両側後大脳動脈の梗塞により後頭葉が広汎に障害される。

外傷・腫瘍後:頭部外傷や脳腫瘍・外科手術後に生じることがある。

心臓手術・脳血管造影:医原性のリスク因子として知られる。

一酸化炭素中毒・PRES:中毒性・可逆性後白質脳症症候群(PRES)でも発症しうる。シスプラチンなど抗癌薬も原因となる。

非血管性原因

MELAS:ミトコンドリア脳筋症。mt.3243A>G変異を持つ症例での発症が報告されている。2)

MS増悪・妊娠高血圧脳症・産科出血:多様な全身病態に続発する。

感染症:西ナイルウイルス(WNV)脳炎、HIV関連PMLなど。3)

その他:副腎白質ジストロフィー、中枢神経系血管炎、くも膜下出血に伴う虚血、トルーソー症候群における両側視放線病変など。

後大脳動脈(PCA)の解剖学的特徴として、脳底動脈から分枝し、近位部(P1〜P2)では深部構造(視床後部・中脳)を、遠位部(P3〜P4)では後頭葉皮質を栄養する。P4セグメントの障害が視野欠損の主因となる。1) 後頭皮質は中心血管系から遠く、虚血に脆弱な構造をしている。

Q 脳卒中以外でもアントン症候群は起こるのか?
A

MELAS(ミトコンドリア脳筋症)2)、MS(多発性硬化症)、西ナイルウイルス脳炎3)、外傷、一酸化炭素中毒など、多様な非血管性原因でも発症しうる。いずれも両側後頭葉の機能障害が共通の病態基盤となっている。

臨床診断は「作話の病歴+視力喪失の臨床的証明+正常眼底所見+後頭葉損傷の画像確認」の4点を組み合わせて行う。

  • 頭部CT(NCCT):緊急評価に有用。虚血性梗塞(低吸収域)を確認する。例として右側頭後頭葉の虚血性梗塞として描出される。1)
  • 頭部MRI
    • 超急性期(6時間以内)はDWIが有用。T1・T2・FLAIRでは検出困難な急性期梗塞もDWIで捕捉できる。
    • FLAIR画像は脳梗塞と脳脊髄液の識別に優れる。
    • T2-FLAIRの後頭葉皮質・皮質下白質の高信号域を確認する。2)3)
    • DWI所見の解釈:DWI高信号+ADC等信号(低下なし)はてんかん発作由来の変化を示唆し、虚血性脳卒中(ADC低下を伴う)とは鑑別される。2)
  • VEP(視覚誘発電位):完全な皮質盲の確認に有用。刺激への反応の欠如を客観的に証明でき、詐病との鑑別にも使われる。
  • V-EEG(ビデオ脳波):MELAS等でてんかん発作が疑われる場合に有用。後頭葉起源の発作を捕捉できる。2)

鑑別すべき疾患と鑑別ポイントを以下に示す。

疾患鑑別ポイント
シャルル・ボネ症候群幻視あり・洞察保持(病態失認なし)
認知症認知的病態失認・記憶障害による作話
ウェルニッケ・コルサコフ症候群チアミン欠乏・即時記憶は保持
詐病VEPで中心視覚機能の正常を証明
心因性視覚障害眼球・対光反射に異常なし(皮質盲と共通)、精神科的評価が必要

心因性視覚障害との鑑別は特に重要である。両側後頭葉障害による皮質盲は眼球に異常所見がなく対光反射も保たれるため、精神疾患や詐病と誤認されやすい。

アントン症候群の治療は後頭葉損傷の推定原因に応じて選択する。原因治療が基本である。

  • 静脈内tPA(組織プラスミノゲン活性化因子):発症4.5時間以内であれば適応。血栓溶解療法により梗塞巣の拡大を防ぐ。1)
  • 血管内治療:超急性期には血管内カテーテル治療(血栓回収療法)を考慮する。
  • 発症4.5時間超の場合:さらなる脳卒中予防とリハビリテーションに焦点を移す。1)

抗血小板薬

アスピリン:75〜150mg/日(グレードA)

クロピドグレル:75mg/日(グレードA)

シロスタゾール:200mg/日(グレードB)

チクロピジン:200mg/日(グレードB)

その他の予防治療

抗凝固薬:ワルファリン等。心原性塞栓(心房細動など)が原因の場合に適応。

スタチン療法:脂質異常症の管理と脳卒中再発予防。

リスク因子管理:高血圧・高血糖・脂質異常症の正常化、禁煙。

  • MS由来ステロイドパルス療法(IV メチルプレドニゾロン)+血漿交換。洞察の回復→視力回復の順で、2年かけて徐々に回復した症例が報告されている。
  • MELAS由来抗てんかん薬の最適化(ロラゼパム・レベチラセタム用量調整・ラコサミド追加)+補充療法(L-アルギニン・レボカルニチン・ビタミンC・B1・B2・B12)。2)
  • WNV脳炎由来:メチルプレドニゾロン1000mg/日×7日間が試みられたが反応しなかった症例が報告されており、確立された治療法は存在しない。3)
Q 発症からどのくらいの時間が治療に重要か?
A

脳卒中由来の場合、発症4.5時間以内であればtPA(血栓溶解療法)の適応がある。1) この時間を超えると再発予防とリハビリテーションが治療の主軸となる。時間的余裕があるほど神経細胞の救済可能な範囲が広がるため、症状出現時はただちに救急受診することが重要である。

6. 病態生理学・詳細な発症機序

Section titled “6. 病態生理学・詳細な発症機序”

両側広範囲な後頭葉(一次視覚野V1)の障害が両側性同名半盲をもたらし、最終的に皮質盲に至る。後頭皮質は中心血管系から遠く、虚血に脆弱な構造である。後大脳動脈の遠位部(P3〜P4)の梗塞が後頭葉への血流を途絶させる。1)

視覚の二重経路とバイパス経路

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視覚情報処理には腹側経路(“what”経路:V4野・形態・色の認識)と背側経路(“where”経路:V5野・空間位置・動きの認識)がある。一部の皮質下線維がV1をバイパスしてV4・V5に直接接続するため、V1が広汎に障害されてもこれらの経路が機能することで色覚の保持や動体認識が可能となる場合がある。1) これがRiddoch現象(動くものは見える)の神経学的基盤である。

盲視(blindsight)のメカニズムとしては、macaque monkeyを用いた研究でLGBdからV2・V3・V4・V5/MT野・FST・LIPへの直接投射経路が報告されており、この経路が意識下の視覚反応を説明する可能性がある。

病態失認の機序については複数の仮説が存在する。

仮説内容根拠
視覚野+連合野の同時損傷一次視覚野と視覚連合野が同時に障害され、自己状態への洞察が欠如する後頭葉広汎病変の臨床像
離断症候群(disconnection)頭頂葉白質病変により視覚野と他領域が断絶する白質病変を伴う症例での発症
言語中枢との連結異常障害された視覚野と機能している言語領域の接続が断絶し、言語領域が視覚入力なしに作話的回答を生成する作話の内容が視覚的詳細を含む点

現在、「言語中枢との連結異常」説が最も支持されている。損傷した視覚野から言語野へのフィードバックが途絶えることで、言語野が「見えている」という虚偽の報告を生成すると考えられている。

Q なぜ患者は見えていないのに見えていると主張するのか?
A

最も支持されている仮説は「言語中枢との連結異常」説である。後頭葉の損傷により視覚野から言語野へのフィードバック回路が断絶し、言語野は視覚入力なしに「見えている」という作話的な回答を生成するとされる。これは意図的な嘘ではなく、脳の回路損傷に起因する神経学的な現象である。

MELASにおける機序:小細動脈の内皮・平滑筋細胞に異常ミトコンドリアが蓄積し、毛細血管増殖を来す。てんかん発作が神経血管単位の急速なエネルギー枯渇を引き起こし、Todd麻痺様の病態へと至る。Fryer仮説では「てんかん発作がstroke-like episodeの引き金になる」と提唱されている。2)

WNV脳炎における血液脳関門(BBB)通過機序:受動的細胞輸送、軸索輸送、炎症誘発性BBB破壊の3つの経路が想定されている。3)


7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)

Section titled “7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)”

Ziaul ら(2024)の症例報告では、COVID-19患者は虚血性脳卒中リスクが3.6倍に増加し、軽症COVID-19でも脳卒中リスクが約1%に上昇することが報告された。1) 高い炎症反応、過凝固状態、医学的重症度が血栓塞栓症の素因となるとされる。PCAを含む後方循環系の脳卒中においても、パンデミック中に遅延受診が問題となった。

てんかん発作誘発性DWI変化の可逆性

Section titled “てんかん発作誘発性DWI変化の可逆性”

Ewida ら(2021)はMELAS合併アントン-Babinski症候群の症例で、DWI高信号かつADC等信号(虚血性変化とは不一致)という特徴的なMRI所見を報告した。2) この所見は虚血性脳卒中のDWI変化(ADC低下を伴う)と異なり、てんかん発作による可逆的なエネルギー代謝障害と血行動態変化の組合せと解釈される。DWI所見の鑑別はMELASにおける治療方針決定に重要な示唆を与える。

WNV脳炎に対する将来の治療候補

Section titled “WNV脳炎に対する将来の治療候補”

Srichawla(2022)は、神経浸襲型WNV感染症に対してインターフェロンαおよびWNV抗体を含む精製免疫グロブリン製剤が将来の治療候補となりうると報告した。3) 現時点ではメチルプレドニゾロンを含む既存薬への反応は乏しく、確立された治療法は存在しない。WNV感染の80%超は無症候であるが、5%未満が神経浸襲型へと進行するとされ、治療法の確立が急務である。


  1. Ziaul YH, Mittal J, Afroze T, et al. Anton-Babinski Syndrome: A Visual Anosognosia. Cureus. 2024;16(3):e55679.
  2. Ewida A, Ahmed R, Luo A, et al. Mitochondrial Myopathy, Encephalopathy, Lactic acidosis and Stroke-Like Episodes Syndrome Presenting With Anton-Babinski Syndrome and Concurrent Occipital Lobe Seizures. Cureus. 2021;13(1):e12908.
  3. Srichawla BS. Neuroinvasive West Nile Virus (WNV) Encephalitis With Anton Syndrome: Epidemiology and Pathophysiology Review. Cureus. 2022;14(6):e26264.

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