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緑内障

緑内障の歴史

緑内障に対する認識は古代から現代にかけて大きく変化してきた。古代ギリシャの「glaukos」は瞳孔の青緑色の変色を指し、急性閉塞隅角緑内障で見られる角膜浮腫に由来する可能性がある。当時は白内障角膜炎との区別すらなされていなかった。

17世紀にRichard Banisterが眼圧上昇と視神経損傷の関連を指摘して以降、緑内障の理解は飛躍的に進歩した1)。その後、Adolf WeberとAlbrecht von Graefeが眼圧上昇による視神経乳頭陥凹という疾患概念をさらに発展させた1)。19世紀の圧平眼圧測定の原理(Imbert 1885年、Fick 1888年)の確立は、20世紀半ばの近代的圧平眼圧計の開発への道を拓いた1)

20世紀に入ると、正確な眼圧計の開発(Friedenwald & Moses 1950年、Goldmann 1954年)、隅角鏡検査の使用(Barkan 1954年)、人口ベースの疫学研究が緑内障の理解を一変させた2)。とりわけ重要だったのは、無症候性の開放隅角緑内障(OAG)がさまざまなレベルの眼圧と関連する疾患として認識されたことである2)。それ以前は「緑内障」とは、極度の眼圧上昇を伴う閉塞隅角緑内障や続発緑内障のみを指す用語であった2)

Q なぜ緑内障の歴史を知ることが重要なのか?
A

緑内障の概念は時代とともに大きく変化してきた。かつては瞳孔の色調変化を指す不明瞭な用語であったものが、現在では視神経障害を本態とする疾患群として精密に定義されている。歴史的変遷を理解することで、現在の診断基準や治療戦略がなぜそのように形成されたかを把握でき、今後の研究方向の見通しにも役立つ。また、「眼圧21 mmHg以上が異常」という旧来の考えが修正されてきた経緯を知ることは、現代の目標眼圧の考え方を理解するうえで不可欠である。

古代ギリシャ語の「glaukos」は青緑色を意味し、瞳孔の病的な色調変化を指していた。ヒポクラテスは「グロウコーシス(glaukosis)」を主に高齢者の疾患として記述した。瞳孔が青緑色・銀色・青色に変色すると視力が失われるとした。この記述には白内障・角膜炎・緑内障など複数の疾患が含まれていたと考えられる。

古代インドでは、外科医スシュルタ(紀元前800〜700年頃)が『スシュルタ・サンヒター』のなかで「アドヒマンタ(Adhimantha)」を記述した。これは激しい眼痛・顕著な炎症・3〜7日以内の急速な視力喪失を特徴とし、今日の急性閉塞隅角緑内障に相当する。

8世紀以降、アラブの学者たちがギリシャ医学文献をアラビア語に翻訳した。フナイン・イブン・イスハークは「glaukos」を「ザルカー(zarqaa)」と訳し、明るい色の虹彩と病的な変色の両方を表現した。アブー・アリー・イブン・スィーナー(アヴィセンナ)は、眼内液の増粘により水晶体が不動となった硬化眼を記述した。触診により眼の硬さを診断する方法もこの時代に確立された。

ヨーロッパではアラビア語文献がラテン語に翻訳され、瞳孔の緑色変色を「ヴィリディタス(viriditas)」と呼んだ。ルネサンス期に入ると解剖学の進歩により、病変が水晶体だけでなく眼全体に及ぶことが発見された。

時代主要人物貢献
古代ギリシャヒポクラテスglaukosisの記述
紀元前800年頃スシュルタAdhimanthaの記述
8世紀イブン・イスハークzarqaaの概念導入
1622年Richard Banister眼の硬化と視神経損傷の関連

18世紀初頭、Michel Brisseauが緑内障と白内障を二つの異なる疾患として初めて明確に分離した。しかし、緑内障の本態が理解されるまでにはさらに1世紀以上を要した。

検眼鏡の発明と緑内障学の確立

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1851年、Hermann von Helmholtzが検眼鏡を発明した。これにより眼底を直接観察できるようになり、緑内障における視神経乳頭の変化を初めて評価可能となった。

Albrecht von Graefeは19歳で医学部を卒業し、欧州各地で研鑽を積んだ。1854年に眼科専門誌『Archiv für Ophthalmologie』を創刊し、「現代眼科学および緑内障の父」と称される。彼は慢性緑内障が眼圧上昇により引き起こされると仮説を立て、1857年の第1回国際眼科学会で虹彩切除術が緑内障治療に有効であることを示した。

1861年、Frans DondersとJozef Haffmansが「単純緑内障(glaucoma simplex)」の概念を導入した。これは現在の原発開放隅角緑内障に相当する。

眼圧計の発明以前、眼圧は上眼瞼越しの触診(指色診)で評価されていた。1862年にvon Graefeが初期の眼圧計を製作したが、眼科用麻酔薬がなく眼瞼上に設置するものであった。1905年、Hjalmar Schiotzが圧入式眼圧計を発明し、初めて一貫した眼圧測定が可能となった。

Q 検眼鏡の発明は緑内障の理解にどう貢献したか?
A

1851年以前、眼底は直接観察できず、緑内障の病態は推測の域を出なかった。Jules Sichelのように、緑内障は脈絡膜疾患であると主張する医師もいた。検眼鏡により視神経乳頭陥凹を観察できるようになり、緑内障が視神経の疾患であるという理解が確立された。さらに、治療効果の客観的評価や疾患進行のモニタリングも可能となり、近代緑内障学の基盤が形成された。

初期の薬物療法(19世紀)

カラバル豆(1862年):Sir Thomas Fraserが最初の眼圧下降薬として導入した。強力な縮瞳薬フィゾスチグミン(エゼリン)の原料である。眼圧下降能力が公式に報告されたのは1876年であった。

ピロカルピン:von Graefeの弟子Adolf Weberが導入した2番目の縮瞳薬である。長年にわたり緑内障治療の主力薬であった。

エピネフリン(1901年):フランスのJean Darierが副腎抽出物の研究中に偶然発見した。市販されたのは1950年代になってからである。

現代の薬物療法(20世紀後半)

チモロール(1978年FDA承認):メルク社が開発した非選択性β遮断薬である。20年間にわたり最適な第一選択薬として使用された。

ドルゾラミド(1995年FDA承認):Thomas Marinが1500以上の分子を合成し開発に成功した局所炭酸脱水素酵素阻害薬である。

ラタノプロスト(1996年FDA承認):Lazlo Bitoが眼の炎症メディエーター研究中に偶然発見した。安全性と有効性の高さから現在の主要な第一選択薬である。

抗緑内障薬は1875年以来利用可能であり、その後さまざまな薬剤クラスが時代とともに導入されてきた3)。Dranceは当初、正常眼圧域で生じる開放隅角緑内障は本質的に異なる疾患であるとの概念を普及させた2)。しかし、その後のランダム化比較試験により、ベースライン眼圧が正常であっても高値であっても、眼圧下降が緑内障の進行を遅らせることが示された2)

Q プロスタグランジン関連薬が第一選択薬となった理由は?
A

プロスタグランジン関連薬は1日1回の点眼で強力な眼圧下降効果(約25〜33%)を発揮する。全身性の副作用が少なく、β遮断薬で問題となる心肺系への影響がない。ぶどう膜強膜流出路を介した房水排出を促進する独自の作用機序を持ち、他の薬剤クラスとの併用も容易である。これらの利点から、1990年代後半以降、世界的に緑内障治療の第一選択薬としての地位を確立した。

初期〜線維柱帯切除術

虹彩切除術(1856年):von Graefeが緑内障治療として確立した最初の手術である。

全層瘻孔形成術(1900年代初頭):房水流出増加を目指したが、低眼圧前房消失・白内障・感染症など重篤な合併症を伴った。

線維柱帯切除術(1968年):John Cairnsが普及させた。線維柱帯網とSchlemm管の一部を除去し、強膜弁による流量調節を行う。現代では抗線維化薬の併用により成績が向上した。

チューブシャント〜低侵襲緑内障手術

チューブシャント(1969年):Anthony Moltenoがシリコンチューブ型のドレナージデバイスを導入した。1993年にはMateen Ahmedが圧力感受性バルブを設計し、制御された流出が実現した。

iStent(2012年FDA承認):Schlemm管内に配置する線維柱帯バイパスである。

Hydrusマイクロステント(2018年FDA承認):Schlemm管の足場となる長いステントで流出を強化する。

XENジェルステント(2016年承認)結膜下腔への眼内からの経路を作成する。

緑内障手術の歴史のなかで特筆すべきは、最初期の排水インプラントの試みである。1876年、フランスのLouis de Weckerが絶対緑内障の患者に金線インプラントを留置した。1925年には、Jon Stefanssonが25人の緑内障患者に対するコイル状金線インプラントの成績を報告した。これらの先駆的な試みが、後のMoltenoチューブシャントへとつながった。

EMGT(早期緑内障治療試験)の無治療群では、視野進行の自然経過速度は平均1.08 dB/年であった3)。高眼圧緑内障で1.31 dB/年、正常眼圧緑内障で0.36 dB/年、偽落屑緑内障で3.13 dB/年と病型により異なった3)。こうしたエビデンスの蓄積が、治療介入の時期と方法の最適化に寄与してきた。

分子遺伝学と遺伝子治療の台頭により、緑内障に対する新たな治療法が開発されつつある。

幹細胞治療:動物モデルでは骨髄由来間葉系幹細胞が網膜神経節細胞に保護効果を示し、視神経再生の可能性が示唆されている。ただし、ヒト治験では視力改善は確認されていない。

遺伝子治療:CRISPR-Cas9を利用して緑内障の病因遺伝子の発現を修正する研究が進行中である。動物モデルでは緑内障性損傷の抑制が報告されているが、ヒトでの有効性の確認にはさらなる研究が必要である。

緑内障のリスク要因としては、年齢と眼圧が依然として最も重要である3)。非白人(特に黒人)、緑内障の家族歴、偽落屑、乳頭出血、薄い角膜、近視も主要なリスク要因として報告されている3)


  1. Stamer WD, Clark AF. Mechanisms of IOP regulation and glaucoma pathogenesis. Annu Rev Vis Sci. 2022.
  2. Quigley HA. Understanding glaucomatous optic neuropathy: the synergy between clinical observation and investigation. Annu Rev Vis Sci. 2023.
  3. European Glaucoma Society. European Glaucoma Society Terminology and Guidelines for Glaucoma, 6th Edition. Br J Ophthalmol. 2025.

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