
テノン嚢下麻酔
ひとめでわかるポイント
Section titled “ひとめでわかるポイント”1. テノン嚢下麻酔とは
Section titled “1. テノン嚢下麻酔とは”テノン嚢下麻酔(Sub-Tenon Anaesthesia、Sub-Tenon Block)は、テノン嚢(Tenon’s capsule)と強膜の間の潜在的腔隙(テノン嚢下腔)に局所麻酔薬を注入する眼科局所麻酔法である。1990年に発表された比較的新しい麻酔法であり、球後麻酔に代わる安全な選択肢として普及した。
球後麻酔や球周囲麻酔では鋭利な針を使用するため、眼球穿孔・眼窩内出血・視神経損傷・くも膜下腔への拡散といった重篤な合併症のリスクがある。テノン嚢下麻酔は鈍針を使用することでこれらのリスクを大幅に低減する。
テノン嚢下麻酔をマスターすれば、白内障手術・緑内障手術・硝子体手術・強膜バックル手術など多くの内眼手術を局所麻酔で施行できる。
眼科局所麻酔法の比較
Section titled “眼科局所麻酔法の比較”各麻酔法の眼球運動制御効果と手技の容易さは相反する関係にある。
| 麻酔法 | 眼球運動制御 | 手技の容易さ | 主な合併症 |
|---|---|---|---|
| 球後麻酔 | 最強 | 難 | 眼球穿孔・眼窩出血 |
| テノン嚢下麻酔 | 中等度 | 中 | 結膜下出血・結膜浮腫 |
| 点眼麻酔 | 弱い | 易 | 術中疼痛・眼球運動あり |
6つのランダム化比較試験(RCT)のメタアナリシスでは、点眼麻酔と比較してテノン嚢下麻酔の方が術中疼痛が有意に少ないことが示された(SMD=0.64、95%CI 0.43〜0.84、低確実性エビデンス)。ただし麻酔投与時の疼痛はテノン嚢下麻酔でわずかに軽減する傾向があった(SMD=−0.20、95%CI −0.43〜0.04、統計的有意差なし)。
2. 主な症状と臨床所見
Section titled “2. 主な症状と臨床所見”本項は麻酔手技の解説記事であるが、麻酔投与に関連した患者の自覚症状を記載する。
- 麻酔投与時の不快感:鈍針を用いるため球後麻酔より通常軽微である。
- 眼球突出感(proptosis):麻酔液注入時に軽度の眼球突出を自覚することがある。
- 術後の結膜充血・腫脹:結膜下出血や結膜浮腫による外見上の変化が術後に見られることがある。
臨床所見(医師が確認する所見)
Section titled “臨床所見(医師が確認する所見)”- 鎮痛(analgesia)の発現:通常は迅速に発現する。
- 眼球運動麻痺(akinesia):麻酔液が眼窩後腔に拡散して運動神経をブロックする。完全なアキネジアが得られるまで最大10分かかることがある。
- 結膜下浮腫:カニューレが誤ってテノン嚢下腔でなく結膜下に位置している場合に生じる。再配置が必要。
3. 原因とリスク要因
Section titled “3. 原因とリスク要因”テノン嚢下麻酔が困難となる解剖学的・患者背景因子を示す。
- テノン嚢の瘢痕・癒着:外眼筋炎後や強膜バックル術後では癒着が強く、鈍針の進入が困難になる。
- 強膜菲薄化:強度近視眼や強膜炎後では強膜が薄く、誤った強膜損傷のリスクがある。
- 抗凝固療法・抗血小板療法中:結膜下出血が著明になる可能性がある。
- 若年者(テノン嚢が豊富):テノン嚢が厚く鈍的剥離が必要になることが多い。
- 高齢者(テノン嚢が薄い):テノン嚢下と誤って嚢内に針先が入りやすいため注意を要する。
4. 診断と検査方法
Section titled “4. 診断と検査方法”テノン嚢下麻酔の適応となる患者の評価として、以下の点を確認する。
- 全身状態・併存疾患の評価:眼科手術を受ける患者は高齢者が多く、重篤な併存疾患を有する場合がある。局所麻酔の適応か全身麻酔が適切かを判断する。
- 抗凝固療法・抗血小板療法の確認:結膜下出血のリスク評価のために確認する。
- 解剖学的異常の評価:強度近視(眼軸長延長)、強膜菲薄化、先行手術歴を確認する。
- 患者の協力性:仰臥位を保持できるか、視線固定の指示に従えるかを確認する。
多くの内眼手術(白内障・緑内障・硝子体手術など)において全身麻酔の代替として使用できる。ただし、長時間の手術や患者の協力が得られない場合(認知症・小児など)は全身麻酔が適切なこともある。
5. 標準的な治療法
Section titled “5. 標準的な治療法”短時間手術(白内障手術など):
- 2%リドカイン単独 1〜2mL
- 2%リドカイン1mL投与で作用時間は約1時間
長時間手術(硝子体手術・強膜バックル手術など):
- 2%リドカインに0.5%塩酸ブピバカイン(マーカイン®)または0.75%塩酸ロピバカイン(アナペイン®)を等量混合
- 3〜4mL程度注入し、状況に応じて適宜追加
- 患者を仰臥位にする。静脈路は望ましいが必須ではない。
- ポビドンヨードで結膜嚢と眼窩縁を消毒する。
- 開瞼器を挿入して術野を確保する。
- 患者に上外側を見てもらい、下鼻側象限を露出させる。
テノン嚢下腔への到達
Section titled “テノン嚢下腔への到達”- 鼻下側角膜縁から5〜10mm離れた結膜を、無鉤鑷子でテント状に持ち上げる。
- ウェスコット剪刀で結膜とテノン嚢を小さく切開し、下の強膜を露出させる。
- 鈍的テノン嚢下カニューレを切開口から挿入し、眼球の湾曲に沿って後方に進める。カニューレ先端が赤道部を通過するまで進める。
麻酔液の注入
Section titled “麻酔液の注入”- 麻酔液をゆっくりと注入する。抵抗がなく溶液の大部分が眼球後方に消失するのが正しい位置である。
- 結膜の膨隆(結膜浮腫)が見られる場合はカニューレが結膜下腔にある可能性が高く、再配置が必要。
テノン嚢下ブロックは、球後麻酔や球周囲麻酔が不十分だった場合の追加麻酔としても使用できる。術中に同じ切開口から追加注入することも可能である。
6. 病態生理学・詳細な発症機序
Section titled “6. 病態生理学・詳細な発症機序”テノン嚢の解剖
Section titled “テノン嚢の解剖”テノン嚢(強膜上膜)は眼球を包む薄い結合組織の層である。前方では角膜縁で結膜と癒合し、後方では視神経の硬膜と癒合している。テノン嚢と強膜の間にあるテノン嚢下腔(強膜上腔)は潜在的な腔隙である。
テノン嚢は輪部から約3mm後方で強膜に付着している。この付着部より後方でテノン嚢と強膜の間を剥離することで、鈍針を後方に進める経路が開かれる。
鎮痛・アキネジアの発現機序
Section titled “鎮痛・アキネジアの発現機序”テノン嚢下腔に注入された麻酔液は後方の眼窩後腔(retro-orbital space)へと拡散し、そこを通る感覚神経(三叉神経系)および運動神経(動眼神経・滑車神経・外転神経)を遮断する。これにより鎮痛とアキネジアが得られる。
鎮痛効果は球後麻酔と同等だが、アキネジアは球後麻酔に比べ不十分なことがある。これは麻酔液が筋円錐内(球後腔)に確実には到達しないためである。運動神経のブロックを優先する場合は、経テノン嚢球後麻酔(テノン嚢奥の筋膜を穿通して筋円錐内に注入)を選択することもある。
点眼麻酔との比較(エビデンス)
Section titled “点眼麻酔との比較(エビデンス)”ESCRSの白内障手術ガイドラインに掲載されたメタアナリシスによれば、テノン嚢下麻酔は点眼麻酔と比較して、術中疼痛をより効果的に軽減するが、結膜化学症(conjunctival chemosis)のリスクが高い(RR 2.11、95%CI 1.46〜3.05、4試験、n=1042、中等度確実性エビデンス)。眼瞼血腫リスクはテノン嚢下麻酔で低い傾向がある(RR 0.36、95%CI 0.15〜0.88、低確実性エビデンス)。
7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)
Section titled “7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)”テノン嚢下麻酔の安全性レビュー
Section titled “テノン嚢下麻酔の安全性レビュー”テノン嚢下ブロックの安全性については2011年にレビューが行われた。英国では王立眼科医師会(Royal College of Ophthalmologists)と王立麻酔科医師会(Royal College of Anaesthetists)が2012年に「眼科手術における局所麻酔に関する国内ガイドライン」を発行している。
超音波ガイド下テノン嚢下麻酔
Section titled “超音波ガイド下テノン嚢下麻酔”超音波ガイドによるリアルタイム観察下での麻酔液注入の精度向上が研究されている。カニューレ先端の位置確認と麻酔液の拡散パターンの最適化が期待されている。
8. 参考文献
Section titled “8. 参考文献”- Guay J, Sales K. Sub-Tenon’s anaesthesia versus topical anaesthesia for cataract surgery. Cochrane Database Syst Rev. 2015 Aug 27;2015(8):CD006291.
- Alhassan MB, Kyari F, Ejere HOD. Peribulbar versus retrobulbar anaesthesia for cataract surgery. Cochrane Database Syst Rev. 2015.
- El-Hindy N, Johnston RL, Jaycock P, et al. The Cataract National Dataset Electronic Multi-centre Audit of 55,567 operations: Anaesthetic techniques and complications. Eye (Lond). 2009;23:50-55.