この手術の要点
強膜バックリング術は60年以上の歴史を持つ眼外アプローチによるRRD修復術である。
若年者・有水晶体 眼・単純なRRDではゴールドスタンダードとされる。
近視 は全RRDの40〜80%に関与し、格子状変性 は主要なリスク因子である。
手術の成功には術前に全裂孔を網羅的に同定することが最も重要である。
初回手術での復位率は90%以上であり、解剖学的成功率は硝子体手術 と同等である。
有水晶体眼ではバックリングが硝子体手術より優れた視力 転帰をもたらす可能性がある。
強膜バックリング術(Scleral Buckling; SB)は、裂孔原性網膜剥離 (Rhegmatogenous Retinal Detachment; RRD)に対する外科的修復法である4) 。眼球外側の強膜 に対してシリコン素材の装具(バックル)を縫合固定し、眼球壁を内側へ圧迫陥凹させることで網膜裂孔 を閉鎖する。眼内に機器を挿入しない眼外手術であり、1950年代にCharles Schepensらによって確立された。以来60年以上にわたり網膜剥離 手術の主要な選択肢であり続けている。
主な利点
眼内操作が不要 :硝子体 ・水晶体への侵襲がない。
有水晶体眼での優位性 :水晶体温存により術後の屈折 変化が少ない。
長期的安定性 :バックルが永続的に物理的支持を提供する。
低侵襲 :眼球内部への切開を伴わないため感染リスクが低い。
主な欠点
裂孔同定の困難例に不向き :全裂孔を術前に把握できない場合は適応外となる。
複雑例への限界 :増殖硝子体網膜症 (PVR)が高度な場合や後極の裂孔には対応困難。
術後近視化 :バックルによる眼軸 延長で近視が増加することがある。
斜視 リスク :外眼筋 の操作により複視 ・眼球運動障害 を生じることがある。
Q 強膜バックリング術はどんな患者に特に向いているか?
A 若年者・有水晶体眼・裂孔が周辺部に限局する単純なRRDが最良の適応である。硝子体手術と比較してより低侵襲で水晶体温存が可能なため、将来の白内障 進行リスクを抑えられる。
RRDは網膜 に裂孔が生じ、硝子体腔の液体が網膜下に流入することで網膜が色素上皮層から剥離する病態である。網膜剥離全体の中で最も頻度が高い型であり、適切な治療なく放置すれば不可逆的な視力障害をきたす。
飛蚊症 :硝子体内の混濁が「虫・糸・輪」のように見える。後部硝子体剥離 (PVD)発症の初期徴候。
光視症 :暗所で光が閃く。硝子体が網膜を牽引するために生じる。
視野欠損 (カーテン状) :剥離の進行方向に一致した視野の遮蔽感。
視力低下 :黄斑部 まで剥離が及んだ際に著明となる。
近視はRRD全体の40〜80%に関与する主要リスク因子である3) 。近視眼では眼軸延長に伴う周辺網膜の菲薄化・変性が生じやすい。
格子状変性(Lattice degeneration) :RRD患者の20〜30%に存在する重要なリスク病変3) 。格子状変性内に生じる円孔と、辺縁部の牽引による馬蹄形裂孔 の両方がRRDの原因となりうる。
後部硝子体剥離(PVD) :急性後部硝子体剥離に伴う網膜牽引が裂孔形成の主要機序。
外傷 :眼球打撲による鋭的・鈍的外傷。
眼内手術既往 :白内障手術後の後嚢破損 、YAGレーザー 後嚢切開後。
遺伝的素因・対側眼の網膜剥離既往 :特に若年発症例。
強膜バックリング術の成否は術前評価の質に大きく依存する。最も重要な目標は全裂孔の網羅的同定 であり、見逃しは術後再剥離の最大原因となる。
間接倒像鏡による全周網膜検査 :散瞳 下で周辺部まで丁寧に検索する。強膜圧迫子を用いた強膜圧迫法(scleral depression)を組み合わせることで、最周辺部の変性・裂孔を同定する。
細隙灯顕微鏡検査(三面鏡・Goldmann接触レンズ) :後極〜中周辺部の詳細評価。
光干渉断層計 (OCT) :黄斑下液の有無や黄斑部の剥離状態を評価する。黄斑部の微細な変化を把握し、術後の視力予後を事前に推定するうえで有用である。前部硝子体炎を伴う強膜炎 合併RRD例でも、OCTが剥離の範囲や黄斑への波及を的確に描出した報告がある2) 。
超音波Bモード :高度な硝子体出血 や白内障により眼底透見が不良な場合に活用する。
蛍光眼底造影 (FAG) :剥離範囲の確認や格子状変性の評価に補助的に使用する。
手術室に入る前、または手術直前に細隙灯・間接倒像鏡を用いて全裂孔の強膜上の位置(時計方向・輪部 からの距離)を記録し、バックルの設計に活用する。
360度または限局した結膜 切開(通常はリンバル切開または輪部切開)を行い、4本の直筋に牽引糸をかけて眼球を安定させる。
間接倒像鏡下に強膜外から冷凍凝固 プローブを当て、全裂孔辺縁と変性部位に凝固を加える。冷凍凝固による絨毛網膜癒着(chorioretinal adhesion)の形成が裂孔封鎖を担保する。過剰な凝固は増殖硝子体網膜症促進の要因となるため最小限に抑える。
裂孔の形状・位置・数に応じてバックル材料を選択し、マットレス縫合で強膜に固定する(バックル材料の比較 参照)。
バックルの配置パターンは以下の2種類に大別される。
局所バックル(segmental buckle) :単一または少数の裂孔が限局する場合に裂孔部のみに設置。
輪状締結(encircling buckle) :バンドを360度眼球に巻き付けて全周を圧迫。多発裂孔・増殖硝子体網膜症合併例・裂孔の位置が不明確な場合に選択する。
バックル材料の種類と特性を以下に示す。
材料 形状 主な用途 シリコンスポンジ 局所隆起型 単一・局所裂孔 シリコンバンド 帯状・輪状 輪状締結・360°バックル シリコンタイヤ 幅広の帯状 広範囲裂孔・格子状変性
高い網膜下液 貯留がある場合は、強膜を部分切開して排液を行う。排液により網膜を色素上皮層に近づけ、バックルによる封鎖を確実にする。ただし排液に伴う出血・硝子体脱出・網膜嵌頓のリスクがあるため、必要性を慎重に判断する。
硝子体腔に膨張性ガス(SF₆、C₃F₈)または空気を注入し、浮力で網膜を色素上皮に押しつける内方タンポナーデを追加することがある。
強膜炎(前部強膜炎)を合併したRRDに対してバックリング術を施行した報告では、強膜炎による強膜脆弱性を考慮しながら慎重に縫合を行い、炎症管理と並行して術後管理を要した2) 。
Q 排液はすべての症例で行うか?
A 排液は必須ではない。バックルの高さで裂孔と色素上皮が接触できると判断される場合は、排液を省略した非排液法(non-drainage technique)が選択される。この方が合併症リスクが低い一方、眼圧 上昇に注意が必要である。
体位保持 :ガスを使用した場合は、ガスが裂孔部に当たるよう体位を維持する。期間はガスの種類・裂孔位置により異なる(通常1〜2週間)。
術後眼圧管理 :バックルによる眼球変形や排液後眼圧上昇を監視する。
炎症管理 :術後ステロイド 点眼・抗菌薬点眼を通常数週間継続する。
活動制限 :激しい運動・重量挙げを術後数週間制限する。飛行機搭乗はガスが吸収されるまで禁止(高度変化による眼圧上昇のため)。
初回手術での解剖学的復位率は90%以上に達する。複数のRCT・メタアナリシスでは、バックリング術と硝子体手術(PPV )の解剖学的成功率に統計学的有意差は認められない3) 。
AAO PPPのメタアナリシスでは、バックリング術と硝子体手術の初回解剖学的成功率・最終解剖学的成功率・最終視力に有意差がないと結論されている3) 。ただし有水晶体眼ではバックリング術の視力転帰が有意に優れることも示されている3) 。
若年者やオルソケラトロジーレンズ使用者など高度近視に関連した両眼性RRDの報告では、強膜バックリング術が両眼に選択されており、若年の有水晶体眼には依然として重要な選択肢となっている1) 。
再剥離 :最も重要な合併症。見逃し裂孔・増殖硝子体網膜症の進行・バックル位置不良が原因となる。
増殖硝子体網膜症(PVR) :術後炎症・過剰冷凍凝固・網膜色素上皮 細胞の増殖による牽引性再剥離。
バックル関連合併症(SINS:Scleral Buckle Induced Necrosis and other Sequelae) :バックルによる感染・露出・壊死。強膜炎合併例では術後の強膜バックル感染・露出のリスクが高まり、長期追跡が必要である2) 。バックル除去が必要になる場合もある。
屈折変化(近視化) :バックルによる眼軸延長。
眼球運動障害・複視 :外眼筋操作に伴う斜視。
脈絡膜 出血・脈絡膜剥離 :排液時または術後に生じることがある。
眼圧上昇 :排液直後の体液力学的変動または閉塞隅角 による。
強膜バックリング術がRRDを修復する機序は、単純な機械的閉鎖にとどまらず複数の物理的メカニズムの複合作用によって成立する。
機械的タンポナーデ
バックルによる壁面陥凹 :強膜を内側へ突出させ、色素上皮層と裂孔縁を物理的に接近させる。
牽引力の軽減 :眼球半径の短縮により、硝子体による網膜への接線方向牽引力が減少する。
流体力学的効果
網膜下液の吸収促進 :色素上皮のポンプ機能により、裂孔閉鎖後に残存する網膜下液が能動的に吸収される。
裂孔への液流入遮断 :バックルが裂孔を覆うことで、硝子体腔から網膜下腔への液体移行が物理的に阻止される。
絨毛網膜癒着
冷凍凝固による瘢痕形成 :冷凍凝固で誘発された炎症反応が2〜3週間かけて絨毛網膜癒着を形成し、裂孔縁を恒久的に封鎖する。
バックル陵での圧迫 :バックルの頂上(陵部)で色素上皮と神経網膜が密着し、癒着形成の足場となる。
これらの効果が相互に作用することで、まず機械的に裂孔を閉鎖し、次いで生物学的な瘢痕によって恒久的な封鎖が確立される。
RRDの手術的修復には主に3つのアプローチが存在する。各術式の特性を以下に示す。
特性 バックリング 硝子体手術 空気注入術 適応裂孔 周辺・単純 複雑・後極 単純・限局 水晶体影響 少ない 白内障促進 少ない 体位制限 少ない ガス使用時 必要
複数のRCT・メタアナリシスでは、バックリング術と硝子体手術の初回解剖学的成功率・最終解剖学的成功率・最終視力に有意差がない3) 。しかし以下のサブグループでは術式の優劣が示されている。
有水晶体眼 :バックリング術の視力転帰が有意に優れる3) 。硝子体手術は術後白内障進行を加速させるため、特に若年者では水晶体温存の利点が大きい。
無水晶体眼・偽水晶体眼 :硝子体手術とバックリングの差は少なく、裂孔の位置・増殖硝子体網膜症の程度によって選択する。
複雑RRD(増殖硝子体網膜症grade C以上、後極裂孔、巨大裂孔) :硝子体手術が第一選択となる。
AAO PPP(2024)では、有水晶体眼RRDにおけるバックリング術の視力転帰上の優位性を言及し、術式選択は患者因子・眼科医の習熟度・施設設備を考慮すべきとしている3) 。
バックリング術の術式自体は成熟しているが、以下の分野での発展が期待される。
シャンデリア照明併用強膜バックリング術(CSB) :広角観察システムとシャンデリア照明を組み合わせ、従来術式の視認性の制限を補う方法である6) 。メタ解析では従来法と視力・解剖学的成功率は同等で、手術時間短縮が示されている8) 。
術中OCT・広角観察システムの活用 :裂孔の同定精度向上と術中モニタリング。
微小切開硝子体手術(MIVS)との組み合わせ :バックリングと硝子体手術を組み合わせたハイブリッドアプローチの適応拡大。
光受容体再整列の評価 :術後の光受容体再整列は機能的転帰に関わる可能性があり、SBと硝子体手術の術後視機能差を説明する要素として研究されている5) 。
RRD修復後CME への対応 :嚢胞様黄斑浮腫(CME)に対するデキサメタゾン徐放性インプラントなどの新規治療が検討されている7) 。
バックル材料の改良 :生体適合性の高い新素材の開発。
Q 硝子体手術とどちらを選べばよいか?
A 有水晶体眼(特に若年者)の単純なRRDではバックリング術が視力転帰の面で優れる可能性がある3) 。PVRが高度な場合や後極に裂孔がある複雑な裂孔原性網膜剥離では硝子体手術が選択される。最終的には裂孔の性状・位置・患者背景・術者の習熟度を総合して判断する。
Q 片眼が手術になったら対側眼も心配になる。どうすればよいか?
A 対側眼にも格子状変性・周辺網膜変性が存在することがあり、定期的な眼底検査 が重要である。裂孔が発見された場合は予防的レーザー光凝固を検討する。特に近視が強い場合やRRDの家族歴がある場合は積極的な経過観察が推奨される3) 。
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