この疾患の要点
空洞鞍症候群(ESS)はトルコ鞍内に脳脊髄液がヘルニア化し、下垂体が圧排される状態である。
原発性(PESS)と続発性(SESS)に分類される。
剖検例の5.5〜12%、神経画像検査の約12%に認められる。
約半数は無症候性で、偶発的な画像所見として発見される。
下垂体機能低下症の合併率は約52%で、成長ホルモン軸と性腺軸が最も障害されやすい。
眼科的には両耳側半盲 や両鼻側半盲などの視野障害を呈しうる。
ホルモン補充療法により症状は改善可能であり、適切な診断と治療が重要である。
空洞鞍症候群(Empty Sella Syndrome: ESS)は、トルコ鞍(sella turcica)内の下垂体組織が明らかに欠如して見える解剖学的状態である。脳脊髄液(CSF)がくも膜下腔からトルコ鞍内にヘルニア化し、下垂体腺を鞍底に押し付けて圧排することで生じる。
1951年にBuschが、下垂体疾患の既往がない患者の剖検で扁平化した下垂体を確認し、本症を初めて報告した。
ESSは**原発性空洞鞍症候群(Primary ESS: PESS)と 続発性空洞鞍症候群(Secondary ESS: SESS)**に分類される。PESSは特発性であり、画像検査で偶然発見されることが多い。SESSは下垂体腫瘍の治療や頭蓋内圧亢進などの基礎疾患から生じる。
また、トルコ鞍内のCSF充満度により以下のように細分される。
部分的空洞鞍 :CSFが鞍の50%未満を占め、下垂体組織が3mm以上認められる。
完全空洞鞍 :CSFが鞍の50%以上を占め、下垂体組織が<2mmである。
ESSは剖検例の5.5〜12%に認められ、神経画像検査では最大12%に確認される1) 。女性に多く、男女比は4〜5:1である1) 。原発性ESSの有病率は2〜20%と報告されている1) 。発症ピークは30〜40歳前後であり、特発性頭蓋内圧亢進症 (IIH)患者の約70%に空洞鞍が認められる1) 。約50%の症例は無症候性であり、偶発的な画像所見として発見される2) 。
Q 空洞鞍症候群は珍しい病気ですか?
A 画像検査で最大12%に認められるため、決して珍しくない。多くは無症候性で偶然発見される。ただし、内分泌障害や視野障害を伴う「症候群」としての発症頻度はこれよりも低い。
ESSの最も一般的な症状は非特異的な頭痛である。ただしESSと頭痛の直接的な因果関係は証明されておらず、偶発的所見の可能性がある。
視覚異常 :視力 低下、霧視 、複視 、トンネル視。SESSで多いが、PESSでも最大16%に視野障害が報告されている。
全身倦怠感 :下垂体機能低下に伴う副腎不全や甲状腺機能低下による。繰り返す入院歴を伴う場合もある1) 。
月経異常 :女性患者の約40%に認められる1) 。
低ナトリウム血症 :副腎不全に起因するSIADH様の病態で発症する。Na 102〜111 mmol/Lまで低下した重症例が報告されている4) 6) 。
鼻漏 :髄液鼻漏として認められることがある。
視交叉 の圧迫や牽引により多様な視野障害を生じる。
両耳側半盲 :視交叉のヘルニアによる最も典型的な視野障害である。
両鼻側半盲 :トルコ鞍からの陰圧により視交叉が下方に牽引される場合に生じる。
その他の視野障害 :弓状暗点、視野狭窄、中心暗点 、接合部視野欠損 (Traquairの接合部暗点 )、盲点拡大。
視神経萎縮 :慢性期には帯状視神経萎縮を呈する。
乳頭浮腫 :頭蓋内圧亢進を伴うSESSで認められる。
動眼神経麻痺 :まれに合併する。
眼科所見
両耳側半盲 :視交叉ヘルニアによる最典型所見。
両鼻側半盲 :視交叉の下方牽引に起因。
視神経萎縮 :慢性期の帯状萎縮。
乳頭浮腫 :頭蓋内圧亢進合併例。
内分泌所見
成長ホルモン欠損 :最頻の内分泌障害。
性腺機能低下 :無月経、性欲低下。
副腎不全 :低血圧、倦怠感の原因。
中枢性甲状腺機能低下 :FT4低値。
下垂体機能低下症はESSの約52%に合併する1) 。障害頻度の高い順に以下の通りである。
成長ホルモン欠損症 :最も頻度が高い。小児・成人ともに認められる1) 。
性腺機能低下 :女性では月経異常(40%)、乳汁漏出(26%)、多毛症(18%)を認める。男性では女性化乳房(12%)、性機能障害(53%)を呈する1) 。
副腎不全 :中枢性低コルチゾール血症を生じ、重度の低ナトリウム血症を来す場合がある3) 4) 。
中枢性甲状腺機能低下症 :FT4低値を示すが、TSHは低値・正常・軽度高値のいずれもとりうる1) 。
高プロラクチン血症 :下垂体茎の圧迫により生じる。
Q 空洞鞍症候群ではどのような視野障害が起こりますか?
A 視交叉のヘルニアによる両耳側半盲が最も典型的である。また、視交叉の下方牽引による両鼻側半盲も報告されている。そのほか弓状暗点、中心暗点、接合部暗点、盲点拡大など多様なパターンを呈しうる。詳細は「臨床所見」の項 を参照。
原発性(PESS)
鞍隔膜不全 :先天的に開口部が大きく、CSFがトルコ鞍にヘルニア化する。正常人口の最大20%に認められる。
特発性 :明確な基礎疾患を伴わない。
遺伝的要因 :CHD7遺伝子変異やPROP 1遺伝子欠失との関連が報告されている5) 。
続発性(SESS)
経蝶形骨洞手術後 :最も一般的な原因。
頭蓋内圧亢進 :特発性頭蓋内圧亢進症(IIH)を含む。
下垂体卒中 :シーハン症候群など。
その他 :放射線照射、感染症、自己免疫疾患、免疫チェックポイント阻害薬 7) 。
肥満 :PES患者の約73%が過体重、14%が肥満8) 。
女性 :男性の約5倍のリスクがある。
高血圧 :骨構造へのストレスが関与する。
経産婦 :妊娠に伴う下垂体の容積変動が関与する。
年齢 :発症ピークは30〜40歳前後である。
高血圧で経産婦の中年肥満女性が最もリスクの高いプロファイルである。
経蝶形骨洞手術 :下垂体腺腫 摘出後に最も多い。
特発性頭蓋内圧亢進症 :持続的な頭蓋内圧上昇が原因となる。
下垂体卒中(シーハン症候群) :出産時の大量出血に伴う下垂体虚血・壊死。
放射線照射 :鞍部への照射後。
下垂体感染症・リンパ球性下垂体炎 :自己免疫機序による下垂体破壊。
免疫チェックポイント阻害薬 :ペムブロリズマブなどのPD-1阻害薬投与後にESSが報告されている7) 。
Q どのような人が空洞鞍症候群になりやすいですか?
A 原発性では中年(30〜40歳)の肥満女性がリスクが高い。高血圧や複数回の出産歴も危険因子となる。続発性では下垂体腫瘍の手術歴や頭蓋内圧亢進の既往がある患者に多い。
ESSの診断は主にMRIによる。造影ありおよびなしの脳・眼窩 MRIが推奨される。
MRI所見 :トルコ鞍の陥凹および下垂体の下方への圧排が認められる。下垂体は鞍底に沿って扁平化し、しばしば半月状の形態を呈する。水平断よりも矢状断・冠状断が有用である。
下垂体茎 :正中に位置し、伸長している。正常な正中の下垂体茎により、くも膜嚢胞と鑑別できる。
視交叉 :くも膜のトルコ鞍内への伸展に伴い視交叉が変形することはまれであり、大部分の症例で視交叉の形態的変化は生じない。
CTスキャン :MRIが禁忌の場合に補助的に使用する。
無症状の患者においてもホルモン検査を検討する。
コルチゾール :早朝値で評価。ACTH負荷試験が鑑別に有用である4) 。
遊離サイロキシン(FT4) :中枢性甲状腺機能低下症ではTSH正常でもFT4が低値となりうるため、FT4測定が不可欠である1) 。
エストラジオールまたはテストステロン :性腺機能の評価。
インスリン様成長因子1(IGF-1) :成長ホルモン軸の評価。
プロラクチン :高プロラクチン血症の確認。
FSH・LH :性腺機能低下の鑑別。閉経後にFSHが閉経期の正常範囲を下回る場合、中枢性性腺機能低下を示唆する1) 。
以下の疾患を鑑別する必要がある。
疾患名 鑑別のポイント くも膜嚢胞 下垂体茎の偏位を伴う ラトケ嚢胞 鞍内嚢胞性病変 嚢胞性下垂体腺腫 造影で壁が増強 頭蓋咽頭腫 石灰化を伴う 特発性頭蓋内圧亢進症 乳頭浮腫を伴う
PESSが偶然発見され、内分泌機能が正常である場合は、定期的な経過観察が基本となる。ただし続発性の原因を除外する必要がある。
下垂体機能低下症が確認された場合、欠損ホルモンの補充を行う。補充の順序が重要である1) 。
ヒドロコルチゾン :副腎不全に対し最優先で開始する。通常15〜20 mg/日3) 4) 。ストレス時にはストレス用量への増量が必要である。
レボチロキシン :副腎機能の安定後に開始する。副腎補充なしでの開始は副腎クリーゼを誘発するリスクがある1) 。
性ホルモン :状態が安定した後に、テストステロンまたはエストロゲン・プロゲステロン補充を行う1) 。
ホルモン補充により症状は劇的に改善しうる。低ナトリウム血症はグルココルチコイド補充により速やかに正常化する4) 。
視機能の悪化が進行する一部の症例では手術適応がある。
視交叉固定術(chiasmopexy) :下降した視交叉を挙上・固定する手術である。経蝶形骨洞アプローチまたは経頭蓋アプローチで施行される。
鞍内脂肪充填 :下垂体腺腫摘出後のESS予防として、鞍内に自家脂肪を充填する方法がある。術後の急速な下垂体下降と下垂体茎断裂を防止する効果が期待される8) 。
Q ホルモン補充はどの順序で始めるのですか?
A まずヒドロコルチゾン(副腎補充)を開始し、副腎機能が安定してからレボチロキシン(甲状腺補充)を追加する。その後、必要に応じて性ホルモン補充を行う。この順序を守ることで副腎クリーゼのリスクを回避できる。詳細は「ホルモン補充療法」の項 を参照。
原発性ESSの病態を規定する2つの要因がある。
頭蓋内CSF圧の上昇 :持続的または間欠的な頭蓋内圧の亢進がCSFをトルコ鞍内に押し込む。
鞍隔膜の欠損 :鞍隔膜は通常トルコ鞍を覆う硬膜の延長部であるが、先天的にその開口部が大きい場合、CSFのヘルニア化が起こる。この鞍隔膜不全は正常人口の最大20%に認められる。
CSFの持続的圧力により下垂体腺が鞍底に押し付けられ、下垂体実質の圧迫と萎縮が進行する。これによりホルモン分泌能が低下する1) 。
副腎不全に伴う低ナトリウム血症は以下の機序で生じる4) 6) 。
コルチゾール欠乏により、視床下部の傍室核でのCRH産生が亢進する。
CRHは抗利尿ホルモン(ADH)分泌促進物質でもあるため、ADH分泌が増加する。
さらにコルチゾールは直接的にADH合成を抑制する作用を持つ。
コルチゾール欠乏下ではこの抑制が解除され、ADH分泌がさらに亢進する。
結果として腎での水再吸収が増加し、希釈性低ナトリウム血症(SIADH様病態)を呈する。
ESSの発症に関与する候補遺伝子群が同定されている5) 。
第1群 (ESS発症関連):PRL、GH1、POMC、TRH、IGF1
第2群 (ESS経路関連):TRH、PRL、POMC、NPY、GNRH1、GH1
第3群 (細胞成分関連):PRL、POMC、NPY、IGFBP3、IGF1
家族性ESSの報告はまれだが、PROP1遺伝子変異による家族性複合型下垂体ホルモン欠損症で空洞鞍が認められた報告がある5) 。
経蝶形骨洞手術後のESSでは、腫瘍摘出後に残存下垂体が鞍底に急速に下降し、下垂体茎が過度に牽引される。この結果、下垂体茎の断裂が生じ、汎下垂体機能低下症と尿崩症を来す8) 。
Petrovら(2023)は、35歳の一卵性双生児男性において部分的空洞鞍、低ゴナドトロピン性性腺機能低下症、および成長ホルモン欠損症を報告した。遺伝子検査でCHD7遺伝子のc.2615T>C(p.Ile872Thr)変異が同定された。CHD7はGnRHニューロンおよび嗅覚ニューロンの発生に不可欠な遺伝子であり、CHARGE症候群 の主要原因遺伝子でもある。著者らはCHD7遺伝子変異がESSの未証明の遺伝的原因である可能性を提唱した5) 。
Iwamotoら(2024)は、非小細胞肺癌に対しペムブロリズマブを投与された63歳男性で、免疫関連有害事象としての副腎不全がプレドニゾロン投与により遮蔽されていた症例を報告した。プレドニゾロン中止後にACTH分泌不全が顕在化し、下垂体MRIでESS所見が確認された。ICI誘発性ESS例はPD-1阻害薬での報告に限られており、発生頻度や機序は不明である7) 。
LinとZeng(2025)は、29歳のTurner症候群(45,X/46,XX モザイク型)女性において、思春期後に部分的空洞鞍と複合型下垂体ホルモン欠損症が顕在化した症例を報告した。文献レビューでは10例のTurner症候群合併ESSが同定され、家族内発症例から遺伝的基盤の存在が示唆された9) 。
Winogradら(2021)は、経蝶形骨洞手術後の2000例中2例(0.1%)に下垂体茎断裂を伴う急速な内分泌機能悪化を経験した。予防策として、リスクの高い患者に術中の鞍内自家脂肪充填を導入し、以降同様の合併症は発生していないと報告した8) 。
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