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神経眼科

バリント症候群

バリント症候群(Balint syndrome)は、両側頭頂後頭葉の病変に続発する稀な視覚空間協調障害である。3つの徴候で定義される。

  • 同時失認(simultagnosia):一度に複数の物体を視覚的に認識できない状態。
  • 視覚性運動失調(optic ataxia):筋力正常にもかかわらず視覚誘導下で物体を正確に掴めない状態。
  • 眼球運動失行(oculomotor apraxia)外眼筋麻痺なしに自発的視線移動ができない状態。

物体間の距離知覚障害が第4の要素として加えられることもある。

1909年、ハンガリーの神経科医Rezső Balintが初めて報告した。 初期の記述では、視覚場面の複数項目の同時知覚不能、固視目標への自発的視線移動不能、右手でのリーチング不能(左手は可能)が記された。 1919年にHolmesとHorraxが類似症例を報告し、運動・感覚障害がないことから視空間障害のみによる症状と示唆した。 「バリント症候群」という用語は1954年に造語された。

文献上の報告例が限られている稀な疾患である。 孤立した脳梁梗塞は脳卒中全体の1%未満であり1)、後方循環脳卒中は全脳卒中の約20〜25%を占める2)

Q バリント症候群はどのくらい稀な疾患ですか?
A

文献上の報告例が限られる非常に稀な疾患である。孤立した脳梁梗塞は脳卒中の1%未満に過ぎず1)、典型的な両側分水嶺梗塞による症例も少ない。認知症やせん妄として見過ごされている例が存在する可能性がある。

  • 重症例では視覚的・空間的認識が著しく制限され、「盲人のように」振る舞う。
  • 奥行き・距離知覚の低下により、頻繁に物や壁にぶつかる。
  • 視覚性運動失調により飲食困難(物に手を伸ばして掴めない)が生じる。
  • 同時失認により読書困難(文字を個別に知覚し単語としてまとめられない)となる。
  • 患者本人が視覚障害に気づかないことがある。
  • 家族が異常に気づいて受診するケースもある。
  • SSPE関連症例では相貌失認(顔の認識不能)、大きな文字の認識困難、壁にぶつかるなどの症状が先行した報告がある3)

バリント症候群の3徴の特徴を以下に示す。

同時失認

定義:一度に複数の物体を視覚的に認識できない。「木を見て森を見ず」が古典的な表現。

背側型(両側頭頂葉病変):同じ場面内で複数物体を見られない。移動中に物にぶつかる。

腹側型(左下後頭側頭葉病変):複数項目は見られるが場面全体を概念化できない。物にぶつかる問題は少ない。

視覚性運動失調

定義:筋力正常にもかかわらず、視覚誘導下で物体を正確に指せない・手を伸ばせない。

特徴:音や接触による誘導では動作が可能。視覚から運動への変換に障害がある。

眼球運動失行

定義:外眼筋麻痺なしに自発的な視線移動ができない。Balintは「注視の精神的麻痺」、Holmesは「固視痙攣」と表現。

特徴:不随意の反射的サッカードは保存される。後天性では滑動性追従運動も消失するが、前庭眼反射は保存される。

  • 視覚的脅威への瞬目反射消失、両側下方水平半盲を伴うことがある。
  • 半側空間無視・消去現象・立体覚消失を合併しうる1)
  • Gerstmann症候群(左右失認・計算障害・手指失認)を合併した症例がある1)
Q 同時失認の「背側型」と「腹側型」はどう違いますか?
A

背側型は両側頭頂葉病変により生じ、同じ場面内で複数物体を認識できないため移動中に物にぶつかる。腹側型は左下後頭側頭葉病変により生じ、複数項目は見られるが場面全体を概念化できない。腹側型では物にぶつかる問題が少ない点が特徴的である。

バリント症候群を引き起こす疾患は多岐にわたる。以下の表に主な原因カテゴリを示す。

原因は大きく3カテゴリに分類される。

カテゴリ代表的な疾患・病態
脳血管障害分水嶺梗塞、脳梁梗塞、脳出血
神経変性疾患アルツハイマー病、後部皮質萎縮症、大脳皮質基底核変性症
感染症・その他SSPE、CJD、COVID-19関連血栓症、脳腫瘍、PRES

最多原因は両側頭頂後頭葉の脳梗塞であり、特にMCA-PCA境界の分水嶺梗塞(watershed infarction)が典型的である。 分水嶺域は低灌流や心停止の影響を受けやすい。 後方循環脳卒中は全脳卒中の約20〜25%を占める2)

脳梁(体部+膨大部)の孤立した両側梗塞でもバリント症候群が生じうる1)。 頭頂葉に直接病変がなくても発症する点で重要な報告例である。 孤立脳梁梗塞は脳卒中の1%未満と稀であり、脳梁はACAとPCAの二重血液供給を受ける1)

脳血管障害の危険因子として高血圧・糖尿病・高脂血症・動脈硬化・喫煙・冠動脈疾患が挙げられる。

  • アルツハイマー病後部皮質萎縮症(アルツハイマー病の視覚変法、visual Alzheimer病とも称される)
  • 大脳皮質基底核変性症
  • SSPE(亜急性硬化性全脳炎):初発症状としてバリント症候群を呈した22歳男性の報告がある3)
  • COVID-19関連:SARS-CoV-2感染に伴うびまん性血栓症による両側頭頂後頭葉梗塞4)
  • その他:CJD、亜急性HIV脳炎、脳トキソプラズマ症、NMDA受容体脳炎、脳腫瘍(転移を含む)、PRES、PML、RCVS、外傷性脳損傷。

特異的な診断基準は存在しない。 3徴(同時失認+視覚性運動失調+眼球運動失行)の存在により臨床的に診断する。

同時失認の検出には以下の方法が有用である。

  • 複雑場面の解釈:「ボストン・クッキー盗み図」「電報少年」のような複数の人物・物体が描かれた絵の説明を求める。
  • 石原式色覚検査表:本来は色覚検査であるが、同時失認があると数字の認識に困難を示す(色覚異常ではない)。
  • Navon図形:大きな文字を構成する小さな文字を提示する。「多数の小さなS」は認識できても、それらが構成する大きな「T」を認識できない4)
  • 対座検査:量的視野計測では正常でも対座検査で同時失認が発見されることがある。
  • 頭部CT(非造影):頭蓋内出血除外の初期検査。梗塞部位の低吸収域を確認する。
  • MRI(DWI含む):虚血・出血・腫瘍・皮質萎縮による両側頭頂後頭葉損傷を同定する。DWIは発症後数時間以内の虚血性変化を検出可能である。MRIでは両側頭頂後頭葉のT2/FLAIR高信号が確認される3)
  • MRA・脳血管造影:責任血管の同定に用いる。
  • SPECT:脳灌流の低下を示しうる。
  • CT angiogram:大血管閉塞の評価に用いる1)

主な鑑別疾患との比較を示す。

特徴バリント症候群半側空間無視皮質盲
病変側両側頭頂後頭葉右頭頂接合部(片側性)両側後頭葉
視力保たれうる保たれる低下
対光反射保存保存保存

半側空間無視は視覚探索欠陥・視覚誘導下の動作欠陥・消去現象など類似所見を示すが、片側病変である点が異なる。 皮質盲は両眼視力低下を呈するが、対光反射は保存される。鳥距裂が両側保存されていれば皮質盲は否定される4)。 高齢者ではせん妄・認知症・皮質盲と誤診されやすい2)

Q バリント症候群と皮質盲はどのように区別しますか?
A

皮質盲は両側後頭葉障害により両眼の視力が低下するが、対光反射は保存される。バリント症候群では鳥距裂が両側保存されていれば皮質盲を否定でき、視力は保たれうる4)。Navon図形や複雑場面描写への反応を確認することで同時失認の有無を評価できる。

バリント症候群に対する特異的治療は存在しない。原因疾患への対処が第一である。

  • 脳梗塞超早期:t-PA血栓溶解療法や血管内治療を考慮する。
  • 脳梗塞再発予防:抗血小板薬(アスピリンなど)または抗凝固薬(ワルファリンなど)を使用する。症例報告ではアスピリン81mg/日が開始された例がある1)
  • 心原性脳塞栓:塞栓源検索が重要であり、心房細動等が判明した場合は抗凝固療法を選択する。

視覚に関連した中枢神経系の欠落症状に対してはそれぞれに対応したリハビリテーションを行う。 2つのアプローチがある。

  • 代償法(compensation):損なわれていない機能を向上させて喪失機能を補う。最も有益と考えられる。
  • 回復法(restoration):損傷機能を訓練し脳の損傷部位を活性化する。眼球運動や輻輳のエクササイズを用いた回復的アプローチで成功した研究がある。

視空間・視運動再訓練に焦点を当てた神経リハビリにより改善した例が報告されている2)

原疾患に依存する。

  • 急性原因(脳梗塞・感染症など):適切に管理されれば良好な予後の可能性がある。COVID-19関連症例で退院後2か月での劇的改善が報告されている4)
  • 進行性神経変性疾患(アルツハイマー病・後部皮質萎縮症など):通常予後不良である。
  • 脳梗塞後の視野欠損回復は高齢者で不良、若年者で回復することもある。
Q バリント症候群のリハビリテーションにはどのような方法がありますか?
A

代償法と回復法の2つのアプローチがある。代償法は損なわれていない機能を向上させて喪失機能を補うもので、最も有益と考えられる。回復法は眼球運動や輻輳のエクササイズを用いて損傷機能の回復を図るもので、成功した研究報告がある。視空間・視運動再訓練を中心とした神経リハビリで改善した例もある2)

6. 病態生理学・詳細な発症機序

Section titled “6. 病態生理学・詳細な発症機序”

バリント症候群は両側背外側路の障害が根底にある。

  • 同時失認:頭頂葉の視空間注意システムの損傷による。Brodmann 7・10・39野の病変に関連し、視覚処理速度の欠陥も関与する可能性がある。背側頭頂葉への連絡遮断により生じる。
  • 視覚性運動失調:上頭頂小葉・頭頂間溝周辺の病変による。Brodmann 5・7・19・37・39野に関連し、後頭葉と前頭葉の運動中枢間の断絶(disconnection)が原因となる。V1から前頭眼野への連絡遮断により生じる。
  • 眼球運動失行:後頭葉と前頭眼野(Brodmann 8野)間の断絶による。前頭眼野・頭頂眼野から上丘・脳幹への下行路障害が関与する。V1から前頭眼野への連絡遮断により生じる。

局在の多様性と神経ネットワーク

Section titled “局在の多様性と神経ネットワーク”

古典的な両側頭頂葉以外に、bifrontal cortex・pulvinar・Brodmann 6・8野・mesial right temporo-occipital areaにも関連する病変が報告されている1)

神経ネットワークの観点では以下が示されている1)

  • 注意ネットワーク:背側前頭頭頂ネットワークと中帯状回-島回ネットワークに両側性に収束する(Markett 2022のfMRI研究)。
  • 視覚作業記憶:前頭-弁蓋ネットワーク内の結合性増加+背側注意ネットワーク(頭頂間溝+前頭眼野)+角回-小脳ネットワークが関与する(Li 2024のfMRI研究)。
  • これらの高次機能は両側性の皮質連絡を必要とし、脳梁を含む半球間連絡線維の関与を示唆する。

視覚処理には2つの経路がある。

  • 背側経路(where経路):V5野で空間位置関係・動きの視覚に関与する。
  • 腹側経路(what経路):V4野で形態・色の視覚に関与する。

バリント症候群の3徴はいずれも背側経路の障害を反映している。

7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)

Section titled “7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)”

脳梁病変とバリント症候群の新知見

Section titled “脳梁病変とバリント症候群の新知見”

Changlai & Liang(2025)は、30歳男性の孤立脳梁(体部+膨大部)梗塞でバリント症候群を呈した症例を報告した1)。頭頂葉に直接病変がないにもかかわらずバリント症候群が発症し、脳梁が注意と視覚作業記憶の神経ネットワークの一部であることを示唆した。fMRI研究の引用により、両側上縦束・下前頭後頭束の線維一貫性が視覚作業記憶の精度に関連することが示された。

Storti et al.(2021)は、SARS-CoV-2感染に伴うびまん性血栓症による両側頭頂後頭葉梗塞でバリント症候群を呈した65歳女性の症例を報告した4)。Navon図形による同時失認の確認、鳥距裂保存による皮質盲の否定が診断の鍵となった。退院後2か月での劇的な症状改善が記録されており、急性脳梗塞例の回復可能性を示す重要な事例である。

SSPEの初発症状としてのバリント症候群

Section titled “SSPEの初発症状としてのバリント症候群”

Parida et al.(2025)は、22歳男性のSSPEが相貌失認・同時失認・視覚性運動失調・眼球運動失行のバリント症候群を初発症状として呈した極めて稀な症例を報告した3)。CSF中のIgG麻疹抗体は16,578 U/mLと高値であった。治療(clobazam 20mg×2/日、levetiracetam 40mg/kg/日、isoprenosine 100mg/kg/日×3分割、IFN-α 3MU/週)は奏効せず死亡した。SSPEの非典型的初発としてのバリント症候群の認識が重要である。


  1. Changlai T, Liang B. Balint syndrome in a patient with isolated corpus callosum stroke: a case study with narrative review. Cureus. 2025;17(6):e85402.
  2. Khan B, Arif A, Elnagi F. Between the borders: Balint syndrome as a rare manifestation of posterior circulation stroke. Cureus. 2025;17(11):e97550.
  3. Parida S, Pandey N, Kumar A, et al. An interesting case of subacute sclerosing panencephalitis presenting with Balint’s syndrome and dysautonomia. Encephalitis. 2025;5(2).
  4. Storti B, Cereda D, Balducci C, et al. Who is really blind in the time of coronavirus: the patient or the doctor? A rare case of Balint’s syndrome. Neurol Sci. 2021;42(5):2079-2080.

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