
瞳孔拡張デバイスと機械的瞳孔拡大術
ひとめでわかるポイント
Section titled “ひとめでわかるポイント”1. 瞳孔拡張デバイスと機械的瞳孔拡大術とは
Section titled “1. 瞳孔拡張デバイスと機械的瞳孔拡大術とは”白内障手術(水晶体乳化吸引術:PEA)では、手術操作に十分な視野を確保するため、通常6mm以上の散瞳が望ましい。しかし術前散瞳後も瞳孔径が5mm以下となる「小瞳孔」例では、連続円形切囊術(CCC)や核乳化の操作が困難になる。小瞳孔のままPEAを行うと、虹彩・前囊・後囊の損傷リスクが高まる。
小瞳孔の原因は多岐にわたる。加齢、偽落屑症候群、糖尿病、ぶどう膜炎、緑内障、外傷、縮瞳薬の使用、前眼内手術の既往、そしてα1アドレナリン受容体遮断薬(α1遮断薬)の使用が主な要因として挙げられる。
瞳孔拡張デバイスおよび機械的瞳孔拡大術は、こうした小瞳孔症例の白内障手術を安全に遂行するために開発・使用される手技・器具の総称である。
術中虹彩緊張低下症候群(IFIS)
Section titled “術中虹彩緊張低下症候群(IFIS)”IFISは、前立腺肥大症治療薬であるα1アドレナリン受容体遮断薬(タムスロシン・テラゾシン・ドキサゾシン・シロドシン等)を内服している患者において、白内障手術中に以下の3徴が生じる特有の病態である。
- 灌流液による虹彩のうねり(billowing):眼内灌流液の流れに虹彩が波打つ
- 進行性の縮瞳(progressive miosis):手術中に瞳孔が徐々に縮小する
- 虹彩の脱出・嵌頓(prolapse):虹彩が切開創やサイドポートに嵌頓する
IFISは全白内障手術の約1.1%に発症する。α1遮断薬による虹彩の萎縮変化は不可逆的であり、休薬してもリスクは低下しない。術前に服薬歴を必ず確認し、IFISの発生を予期したうえで手術に臨むことが重要である。IFISを予期・認識しない場合、合併症リスクは著しく増加する。
IFISはタムスロシンとの関連で2005年にChangとCampbellによって初めて報告された。
手術は受けられる。ただし、IFISを想定した準備(適切な瞳孔拡張戦略の選択、手術フルイドパラメータの調整、粘弾性物質や瞳孔拡張デバイスの使用)を術前に計画する必要がある。休薬してもリスクは低下しないため、内服継続のまま手術を行う。
2. 主な症状と臨床所見
Section titled “2. 主な症状と臨床所見”小瞳孔・IFISは術前の眼科診察で診断されるものであり、患者自身が術前に特異的な自覚症状を訴えるわけではない。術後については以下の点が問題となる。
- 羞明(まぶしさ):瞳孔が術後も拡大したままとなった場合に生じる
- 視力低下・不快感:過度な瞳孔拡張や虹彩損傷が生じた場合
術前の評価ポイントと術中所見を以下に示す。
術前所見(散瞳不良例)
- 散瞳後の瞳孔径5mm以下
- 偽落屑物質・線維化物質の瞳孔縁付着
- 虹彩後癒着
- チン小帯脆弱(水晶体動揺・偏位)
術中所見(IFIS)
IFISに特有の所見として、灌流液による虹彩のうねり・進行性縮瞳・虹彩の創口・サイドポートへの嵌頓の3徴が認められる。IFISは小瞳孔以外の原因で瞳孔が小さい症例とは対処法が異なるため、術中に正確に認識することが重要である。IFISの有病率は0.5〜2.0%、虹彩・毛様体損傷の有病率は0.6〜1.2%とされる。
3. 原因とリスク要因
Section titled “3. 原因とリスク要因”小瞳孔の原因は以下の通りである。
- α1アドレナリン受容体遮断薬:タムスロシン・テラゾシン・ドキサゾシン・シロドシン、ハーブ製品のソーパルメット。IFISの最大のリスク因子。
- 偽落屑症候群(PEX):チン小帯脆弱を合併しやすく、散瞳不良となりやすい。
- ぶどう膜炎の既往:虹彩後癒着を形成し瞳孔運動を障害する。
- 糖尿病:自律神経障害・血管変化により散瞳反応が低下する。
- 加齢:瞳孔括約筋の繊維化・瞳孔径の縮小が生じる。
- 縮瞳薬(ミオティクス)の使用:緑内障治療薬など。
- 前眼内手術の既往・外傷:虹彩の構造的変化をきたす。
- フェムトセカンドレーザー補助白内障手術(FLACS):プロスタグランジン放出による術中縮瞳がCCSより多い。
緑内障治療に使われる縮瞳薬(ピロカルピン等)は瞳孔を縮小させるため、術前に散瞳薬を頻回点眼しても十分な散瞳が得られないことがある。また、β遮断薬やプロスタグランジン製剤でも散瞳反応に影響する場合がある。術前に使用薬剤を申告することが重要である。
4. 診断と検査方法
Section titled “4. 診断と検査方法”小瞳孔・IFISの診断は術前の問診と細隙灯顕微鏡検査を基本とする。
術前評価の要点
- α1遮断薬(排尿障害改善薬)の服薬歴の確認
- 散瞳後の瞳孔径測定(5mm以下を小瞳孔と判断)
- 瞳孔縁の性状確認:線維化物質・偽落屑物質の付着の有無
- 虹彩後癒着の有無
- チン小帯脆弱の評価(水晶体動揺・偏位の有無)
術前評価により、どの瞳孔拡張手段を用いるかを事前に計画する。実際の手術ではステップバイステップのアプローチとなることも多く、術中所見に応じて対応を変更する場合もある。
瞳孔拡張法の選択基準
Section titled “瞳孔拡張法の選択基準”以下の比較を参考に手術計画を立てる。
| 瞳孔拡張法 | 確実性 | 散瞳維持 | 難易度 | 虹彩損傷リスク |
|---|---|---|---|---|
| 眼粘弾剤(OVD) | 低い | 限定的 | 容易 | なし |
| フック | やや低い | 限定的 | 難 | 低い |
| 虹彩レトラクター | 高い | 良好 | やや難 | 低い |
| 瞳孔拡張リング | 高い | 良好 | 難 | やや高い |
5. 標準的な治療法
Section titled “5. 標準的な治療法”薬理学的散瞳
Section titled “薬理学的散瞳”術前の散瞳薬点眼が基本となる。主な薬剤は以下の通りである。
- トロピカミド1%点眼:副交感神経遮断薬(毛様体筋麻痺)
- フェニレフリン2.5%点眼:α1アドレナリン受容体作動薬
- フェニレフリン1.0%+ケトロラク0.3%前房内注射:術中縮瞳の予防として有用
術前NSAIDs点眼(少なくとも術1日前から)は、プロスタグランジン放出による術中縮瞳を抑制するために有用である。FLACSでは特に重要とされる。
なお、散瞳デバイスが必要となる症例は約10%と報告されている。1)
機械的瞳孔拡張の各手技
Section titled “機械的瞳孔拡張の各手技”粘弾性物質(OVD)による瞳孔拡張(粘弾性散瞳)
Section titled “粘弾性物質(OVD)による瞳孔拡張(粘弾性散瞳)”ヒーロンV®やビスコート®などの分散型OVDを前房内・創口後方に注入して瞳孔を拡張する方法。操作は容易だが、PEA中の吸引によりOVDが吸われ瞳孔径が縮小することがある。IFIS症例では虹彩が創口に嵌頓した際の局所的なOVD留置にも有効である。
虹彩フックによる部分的瞳孔拡張
Section titled “虹彩フックによる部分的瞳孔拡張”プッシュプルフックやシンスキーフックで瞳孔縁を随時避けながら視野を確保する方法。1か所の瞳孔縁を場所を変えて広げるため、瞳孔縁全体の過度な伸展を避けられる。中等度散瞳例に適しており、小瞳孔症例には拡張効果が限定的である。
瞳孔括約筋切開術(多重括約筋切開)
Section titled “瞳孔括約筋切開術(多重括約筋切開)”瞳孔縁に0.5mm程度の短い切開を円周方向に細かく多数加えた後、ヒーロンV®を注入して瞳孔を拡張する方法。切り込みを短く多数行うことで、瞳孔反応をほぼ温存できる。ただし、IFISやぶどう膜炎症例では虹彩に切り込んでも瞳孔が広がらないため非適応となる。また切開が長すぎると術中出血・術後の虹彩後癒着のリスクがある。
虹彩レトラクター(Iris Retractor:IR)
Section titled “虹彩レトラクター(Iris Retractor:IR)”4本のフレキシブルなワイヤーフックを角膜切開創またはサイドポートから挿入し、瞳孔縁を四方向に引いて固定する方法。任意の大きさまで瞳孔を拡張できる最も確実な方法のひとつ。拡張径は4〜5mm程度にとどめることが重要であり、強く引きすぎると瞳孔縁の虹彩断裂・術後の瞳孔不整・散瞳・虹彩後癒着を起こす。チン小帯脆弱を合併する症例では、連続環状切嚢の後にCEまたはIRを連続環状切嚢縁にかけ直すことで水晶体囊の支持も兼ねることができる。
1本のレトラクターを創口の下に設定して虹彩脱出を抑える方法も報告されている。
瞳孔拡張リング
Section titled “瞳孔拡張リング”**マリューリンリング(Malyugin Ring)**が代表的な瞳孔拡張リングである。MicroSurgical Technology社が開発し、その成功を受けて複数のメーカーが様々なデザインの瞳孔拡張デバイスを発売している。各デバイスは素材・瞳孔縁固定機構・挿入・抜去の操作性において異なる。
IFISに対する補助器具の第一選択は虹彩レトラクターまたはこれらの瞳孔拡張リングである。1)
カプセルエキスパンダー(CE)
Section titled “カプセルエキスパンダー(CE)”連続環状切嚢のときに水晶体が揺れてチン小帯脆弱が明らかな症例の良い適応となる。瞳孔拡張を兼ねて水晶体囊を支えることができ、安定したPEAが可能になる。
IFISで行ってはいけない方法:瞳孔縁切開(全幅虹彩切開)はIFIS症例では無効であり、実施してはならない。同様に、IFISでは機械的瞳孔伸展や括約筋切開は効果がない。1)
どちらも確実性・散瞳維持において優れた方法である。虹彩レトラクターは任意の大きさに調整可能で、チン小帯脆弱例での水晶体囊支持にも転用できる。瞳孔拡張リング(マリューリンリング等)は操作性と散瞳均一性に優れる。術者の習熟度・症例の状況(虹彩の性状・チン小帯の状態等)に応じて選択する。
6. 病態生理学・詳細な発症機序
Section titled “6. 病態生理学・詳細な発症機序”IFIS の発症機序
Section titled “IFIS の発症機序”IFISの病態の中心は、α1アドレナリン受容体遮断薬による虹彩散大筋の機能障害と虹彩間質の萎縮にある。
虹彩散大筋はα1Aアドレナリン受容体を発現しており、タムスロシンなどのα1A選択的遮断薬はこの受容体に長期間結合し、筋の萎縮・線維化をきたす。この変化は薬物中止後も持続する(不可逆性)。その結果、虹彩の緊張性(tone)と弾力性が失われ、術中灌流液の流れによるうねりを起こしやすくなる。
さらに、α1遮断薬は虹彩血管のα1受容体も遮断するため、術中の灌流液によるズリ応力(shear stress)に対する血管収縮反応が障害され、虹彩間質の浮腫・弛緩が助長される。これが進行性縮瞳と虹彩嵌頓の原因となる。
IFISはタムスロシン以外のα1遮断薬(テラゾシン・ドキサゾシン等)でも、またα1遮断薬を使用していない症例でも認められることがあるが、タムスロシン(α1A選択的)での発症率が最も高い。
小瞳孔による合併症リスク
Section titled “小瞳孔による合併症リスク”小瞳孔は術中の最重要リスク因子のひとつである。小瞳孔の状態で手術を続けると、不完全な連続環状切嚢・術中出血・虹彩括約筋断裂・後囊破裂・硝子体脱出・角膜内皮細胞減少のリスクが高まる。経験豊富な術者が最小限の虹彩操作で手術を行う場合、通常の散瞳眼と同様の結果が得られるとする報告もあるが、フルイドパラメータの調整(ボトル高の低下・吸引流量の減少)を含む適切な対策が必要である。
7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)
Section titled “7. 最新の研究と今後の展望(研究段階の報告)”前房内散瞳薬の持続灌流
Section titled “前房内散瞳薬の持続灌流”フェニレフリンとケトロラクの混合液を術中持続灌流する方法が注目されている。ボーラス注射が前房を拡張するのに対し、持続灌流は術中の瞳孔縮小を防ぐ目的で使用される。FLACSによるプロスタグランジン放出に起因する縮瞳の抑制にも期待されている。
新しい瞳孔拡張デバイスの開発
Section titled “新しい瞳孔拡張デバイスの開発”マリューリンリングの成功後、素材・固定機構・操作性を改良した多様な瞳孔拡張デバイスが次々と市場に投入されている。薬理学的散瞳と瞳孔拡張デバイスの組み合わせにより、散瞳不良症例の大多数で安全で効果的な白内障手術が実施可能となっている。
8. 参考文献
Section titled “8. 参考文献”- American Academy of Ophthalmology. Cataract in the Adult Eye Preferred Practice Pattern. Ophthalmology. 2021;128(1):P1-P228.